《 メ コ ン の 風 》

 

        僕 の 旅 の ル ー ト

 

1 1017日 2度目のタイへ出発

病人を差別する航空会社
 20011017日午前9時に、名古屋空港に向かう。夏江さんに矢作橋駅まで送ってもらって、搭乗の時間通りに到着だ。さして緊張もなく元気、リュックもギターも軽い。いつもは飛行機が落ちたらどうしようと、不安もある。けれど、病気をしてからは、落ちたら落ちた時のことと、のん気だった。そう言えば、体も軽い。以前は55sあった体重が、今では大腸も40p切ったので44sになった。
 さてさて搭乗窓口に行くか。前回病気であることを告げ、希望の座席を取ろうとしたら、何か疑われているような気がしたので、今回は診断書を見せた。
 すると、スチュワーデスの制服を着た人が「しばらくお待ちください」と、どこかに行ってしまった。何か良いことでもあるのかな、と待っていると、今度は23人で登場。1枚の紙を見せ「これにサインして下さい」と。ん?『・・、当社は一切の責任を持ちません』。誓約書だった。「ば!ば馬鹿モノ!病人を差別するつもりカー」と、怒ろうと思ったけど止めた。ウハッハッハハ、私は生まれ変わったのだ。「へんシーン」、変ジーン?・・黙ってサイン。
 しかし、しかしである、バンコックに着くまで、何の特別待遇もなかった。2度も言ったのに、ブランケットを持ってこんわ、ベジタリアン(菜食)の食事もなし、でご飯と果物だけ。お腹も減るじゃないか。一言でいい、奇麗なスチュワーデスさんの「お体のぐあいはいかがですか?」とか、その一言がほし〜い。病人は優しい言葉がほし〜いのよ(甘えてもいいんだもんね〜、夏江さんが言ってた)。
 手荷物検査では、私の大事な薬を飲む時使う、ハサミやナイフが付いた道具が取り上げられてしまった。しゃーないわい。次は、マレーシア空港で、僕の大事な型髭剃りが取り上げられてしまった。ボッ!僕は髭剃って寺に入るんだぞー。職員は髭剃りの刃を指差し、「キケン、キケンね」と言う。「ど!どこがキケンじゃ〜!」。
 想像した、ハイジャック犯が髭剃りを持ってパイロットを脅す、パイロット「どうか髭だけは剃らんでくれ〜!」。あんたら、みんなタリバーンか!

怒りは禁物
 バンコックに到着した時、引き換え証を持って受け取り窓口に行くと、鷹揚な職員が「ナイフはまだ着いてない・・」と。「5分待っても何も起きない。聞くと、明日電話して、空港に取りに来いと言う。「な!な!何を言っとるんじゃい!もう夜の10時じゃぞー」「だー、誰が空港まで300円のナイフ受け取りに来るんじゃい」、私は受付のブーたれおばはんに怒った。いかん!いかん!怒ると癌が増えるわい。元のもくあみジャー!
 冷静に、冷静に、「私は生まれ変わった、私は生まれ変わった」と呪文を唱えながらも、心も体もカッカ・ガン(癌)・ガン(癌)する。あ!そうか、暑いわけだった。空港の外は30度近くある。いかん!胃ガン、大腸癌!と言いながら一枚脱ぐのであった。
 飛行機はテロの影響かどうか、座席の半分は空いていた。航空券が安くなってるかと思いきや、逆に飛行機の保険料上乗せで少し高くなってしまった。『飛行機は見るもので乗るものではない』、と思っている僕にとって、飛んでる時間は退屈、いつもすぐ寝る。
 途中マレーシアのペナン島、クアラルンプールで乗り換えてバンコックに来た。クアラルンプールの乗り換えで、名古屋から一緒だった日本人の青年に話しかけた。
 「エ!日本人なんですか?」「そうだよ」「本当ですか?」「そうだよ」。ギターを持って、リュックをさげた僕をしげしげ見て、「かっこいい!」。あんらま〜、日本では変質者呼ばわりさえされる僕なのに、であった。
 彼は、海外は初めてで、すごく緊張していた。茶髪で銀のイヤリングにチョビ髭。自分たち同類以外興味のない、みんな同じの日本の青年も、海外では素直なイイコだ。気をよくして教訓を垂れた、「旅に期待しても駄目、今までの自分が試されるのだ」「そこで何かを学んだら、それが最高のおみやげ」。

バンコック到着
 
彼をナイフ返せ騒ぎの後タクシー乗場まで送って、空港バス乗場まで行った。僕は、どこに行くにもホテルの予約をしない。今さっき決めたカオサン・ロードに行くことにした。疲れたからだ。そんな時は、安宿がいっぱいあって知ってる所が良い。ホテルは『アンコー』がいるサワデー・イン・ホテルに決めた。
 バスは、バンコック名物の渋滞も終わった深夜、中心街を通りカオサンに無事着いた。カオサン・ロードはすごいぞー、そこがまた楽しい。うるさいし何でも売っている。テムが言っていた、「病人の行く所じゃない」って。夜の12時だっていうのに、世界中の人間がウロウロしてる。サワデー・インには、シングル・ルームが少なく満員だった。仕方なくダブルで1500円でチェックインした。今回の旅でこの部屋が一番高かった。

 部屋に入ると急いでシャワーを浴び、夕食へと街に出た。なんせお腹がぺこぺこ、ちゃんと食べたのは朝食だけ。いろんな屋台が道一杯に並んでいる。おみやげ品・果物・刺青・アクセサリーにCD屋、食べ物もいっぱい、懐かしい。
 オッ!マイゴツド! みんな油で調理ベトベトだ、菜食癌治療中の僕にはつらい。ウロウロしていいもの見つけた、トウモロコシとフランスパンと果物だ。それに、ミネラルウォーターを買って部屋に引き返した。
 日本時間ではすでに午前3時。病気になってからは、絶対12時には寝るようにしてたのに、今日はとっても悪い子だった。それに怒った。癌の治療に来たはずなのに〜、最低の1日だった。

2  18日 『徐富弘診療所』に行く

 昨日は午前11時に名古屋を出て、バンコックに着いたのが夜9時過ぎ、時差を入れると10時間近く飛行機に乗ったことになる。乗り換えを入れる12時間。少し疲れた〜、ので9時過ぎに起きた。

 タワシ・マッサージ
 いつものように、全身をタワシで擦る、すると全身の精気が蘇って、おなかが空いてくる。病気の前は朝いつまでも体がだるかったのが、裸になってタワシで擦るようになったら、だるさが消えて快適だ。初心者はゴシゴシ擦らない、真赤になっていなばの白ウサギになる。
 パンをかじって2階に降りるとアンコーがいた。「やー、久しぶり元気だったかい」と背中を撫でると、やせた体を足に擦り付けてきた。ホテルの従業員が飼っている、とってもいい子だ。アンコーとは猫の名、テレビドラマの主人公の名前から取ったそうだ。タイには伝説があって、虎が人間に変身するらしい。日本で言えば化け猫かな〜。アンコーに挨拶を済ませると、早速活動を開始だ。関係ないことをふと考えた、アンコーとパンを一緒に食べると、あんパンかな〜?

                                      

 

 

 

 

         

 外に飛び出すと、公衆電話でテムの携帯にかけた、「ハロー、ハロー」。が?何度かけても駄目、昨夜かけても駄目だった。しかし彼の家にかけると出た。
 「今バンコックにいるの」「エ!、バンコックですか?」。2週間前、日本から連絡していたタイの優しい友人だ。と、言うよりお母さんかも知れない。自分のことのように、僕の病気を心配してくれる、前回の旅で何度も何度も言った、「関本さん、自分を大切にして下さい」って。
 30代で独身、日本に大学その他と7年いたので、日本語は不自由しない。前回まったくの予定・情報なしでタイに来て、貴重な治療を教えてもらった。今回は、更に山奥に住むという『仙人』を紹介してもらおうと、タイにやってきたのだった。テムは忙しい。僕がまた電話して、明後日会おうということで電話を切った。
 さて次は朝食、『宝くじ事務所』の横、いつもの店で野菜炒めとライスを食べる。ここは油も少ないし、味も辛くなくておいしいし、80円と値段も安い。注文するとすぐ出てきた。ん? なんか変だ、味が同じなのにおばさんが違う。オオ、おばさん茶髪にしたのね。

 バンコックの風景
 食後、腹ごなしにチャオプラヤ川の西側に散歩に行く。チャオプラヤ川は、バンコックの西側を流れる大きな川だ。バンコックはアジアのヴェニスとも呼ばれ、この川から市内へと運河で結ばれている。渋滞のすごい市内道路を避け、運河をボートで移動する人も多い。それが一番早い。廃ガスもなし、快適だ。沈没しなければだけど。朝夕には通勤客が多く利用している。
 プラ・ピンクラオ橋はバンコック西・トンブリー地区に行く主要道路に架かり、車がひっきりなしに走る大きな橋だ。ただ排ガスいっぱい、歩いて渡る人はあまりいない。マスク忘れた、失敗(次の外出の時は必ずマスクを忘れないこと)。

 長さ500mのアーチ型の立派な橋の下には、小さなお店やホームレスの方が住んでいるみたいだった。橋の上からは、バンコックがぐるりと見渡せる。上から見ると近代都市だ。下を見るとアジア。まっ茶色のチャオプラヤ川がドクドクと流れ、アジア風の前と尻尾が持ち上がったボートが流れに負けまいと、ポッポ・ポッポと行き交ってる。バンコックに来たっていう感じ。
 橋を渡ってウロウロするけど、おもしろそうなものは何もなし。かごを担いだおばさんから、さつま芋の蒸したのを買って食べた。さつま芋は柴と白い色のもの、両方共結構おいしい。これは昔食べた芋の味だな〜、と思いながら帰ってきたら、排ガスで肺が真っ黒になった気がした。また体に悪いことしてしまった。

 治療目的の『徐富弘診療所』
 午後からは、『徐富弘診療所』に行くことにした。ここは街中に氾濫している足裏マッサージとは違って、治療を目的としている。タイの法律では、マッサージは治療として認められていない、しかし、その筋では治療として有名な所。普通の人が通うにはちょっと金額が高い。タイには元々、タイ古式マッサージというのがあって(有名なお寺ワット・ポーでもやっている)人気なのだけど、この足裏は台湾系の人が20年ほど前に始めて、ここ10年前からブームになっているらしい。僕もタイに来る前はまったく知らなかったのだけど、日本のテレビでもずいぶん紹介されて、知ってる人もいて驚いた。
 タイ滞在中は、ほぼ毎日、どこかの足裏か全身マッサージに行ったけど、『徐富弘診療所』は特別だった。なんせ、彼らの指にはマッサージの擦った修業の跡と言うか、肉が盛り上がって大きなタコができている。ほとんど道具は使わない。他の所は棒で擦られて痛いだけか、リラクゼーシヨン・気持ち良いだけだった。まあそれでも十分だけどね。
 またタイにはマッサージとかお風呂とかいう、男性が行くな所もあるらしいのですが、それはまた別のページで。

 さて「徐富弘診療所」は、42番の市バスでバンコック市街を抜け、東に15qほど行ったエツカマエ駅の、南1qほどの所にある。町工場や住宅が密集した小さな路地に入ると、足裏の看板が見える。入り口の横のショウ・ウィンドには、日本語の案内もある。診療所の中に入ると、いつも45人の客と、マッサージ師が45人。治療を受ける人が座るトウでできた背もたれが付いた椅子が4脚と、待っている人が座る椅子がいくつかあるだけ。
 部屋の正面にはタイの王様とお后の写真が飾ってあり、回りには『人救世済』と墨で書かれた大きな額。あちこちに真赤な紙に金色で書かれた『財源広進』『生意興隆』『開工大吉』と、お札のようなものが張ってある。日本人ならおおよそ意味が分かる。漢字文化圏、いいじゃないの。地球上の4分の1の人が理解できる。これはすごい。

足裏マッサージの実際
この足裏あんまは、その漢字文化発祥の地、中国5000年前の古代『観法』という、何と読むか分からない伝統医学から生まれたもので、100年ほど前に外国人によって、再発見された。それをスイス人神父・ジョセフ・オイゲスター氏が、病理アンマとして確立し世界に広まったそうだ。因に日本でもしている人がいて、『若石健康法』と言っている。

                    

 初めて行くと幾つかの注意事項を確認させられる。例えば、食後1時間たってからにするとか。治療期間中は柑橘類を取らない。生理中とか妊婦は駄目。おもしろいのは、痛い時は大声で叫ぶとか笑う。感情を抑えると、病気が体内から出ていくのを阻止します、とある。なるほど、しかしかっこ悪くてだ〜れも叫べない。しかし、この痛いのにどうやって笑うの。
 さて、勧められて椅子に座ると、ベットリと白いクリームを刷り込むようにマッサージが始まる。緊張の始まりだ。拷問が始まる。と言っても、健康な人はあまり痛くないらしい。病んでいる所が大体において痛い。
 45分ほど、足を中心に手とか肩を、症状に合わせてマッサージする、決して足裏だけではない。最初から最後まで痛がって悶える人がいると思えば、少しだけ痛がる人もいる。特に最初は痛いけど、何回か通ううちに痛くなくなる。
 家で軽くやってもらっていても、普通の傷だと、擦れば擦るほど痛くなるけど、5分ほどこすっていると痛さが軽くなるから不思議だ。ここでも1回より2回目、2回より3回目のほうが痛くなくなる。そして45分間の痛みに耐えると、首筋か肩を叩かれて終了だ。
すると、かわいい女の子がコップ1杯の水を運んでくるので、グピッーと飲む。あ!!生き返った。そして、痛い思いしたのに900円を払う。感謝しつつ、まだ痛みが少し残っている足を、ひきずるようにして外に出るのだった。

 この痛さには、深い意味がありそうだ!
 僕は、ここに行って初めて気がついた、人間の感じる痛さには種類がある。擦り傷やあかぎれの痛さ、骨折の重い痛み、内臓(胃とか)の痛み、へん頭痛、あがりはなに足の弁慶の泣き所をぶつけた時の痛み。いろいろあるのだ。しかし今は、小さい頃走って転んであちこちぶつけた、ガーンとするあの痛みはあまり経験しない。
ここ数10年、車で移動、平らな舗装道路ばかり歩く。あまり転ばないし、頭に星が出るほどの痛みとは遠ざかっている。しかし人類300万年の歴史の中で、こんなにぬくぬくした生活を経験したことがあっただろうか。ないよね。そこに、現代病と言われる病気の一つの原因があったとしてもおかしくない。

ここ『徐富弘診療所』の痛さは、人類300万年の痛さを体現させられるものだ。オーバーかな〜? 擦られると頭の中に星ばかりか、太陽も月も出る。トイレに行きたかったり、他の悩みごとなど、この時間、すべて忘れられるというか考えられない。これが効果の秘密だったりして。
 現代人は靴を履いて、しかもあまり歩かないので足からの刺激が少ない。この痛みは、日頃の運動不足を証明するように思える。今の日本の若い世代は、足の裏の土踏まずがなかったり、柔らかくブヨブヨだったりする。これは運動不足だけでなく、体の各臓器の機能低下、神経の伝達能力の低下を意味するような気がする。
 300万年とは言わなくても、数10年前の日本人の足は、見事にカチカチだった。それで、循環・リレーがうまくいくように体ができていたと考えるのが普通でしょ。人類の生活は急速に変わったけど、体は急に変われない。

 足裏につながる神経の束
 翌日、ある病院で人体の本物の標本を見たのだけど、体中につながる神経の束はすごかった。人間の内臓は、パーツが組み合わされているように出来ている、それを繋ぎ合わせるように、血管や神経が張り巡らされている。その神経が思ったより太い。太さ1pもある太い神経は、頭の天っ辺から首の後で交差して足につながっている。
 驚くのは、足の先へ行っている神経が一番太いのだ、そしてその次が手の指先。日本のハリ治療でもツボ・アンマでも、足と指を良く使うのが理解できる。
 「徐富弘診療所」からもらった解説書によると、足にある各臓器の反射神経を100余りに細かく図解してある。持に親指はたくさんあって、先っぽから、副鼻腔・大脳・小脳・脳幹・鼻・脳下垂体・三叉神経・上あご・下あご、付け根には頸稚・首、とすごく細かい。みんな勘違いしてるのは、足の裏だけでなく、足の内側や外側にもある。各リンパなどは足の甲、女性の病気などは後側にある。
 僕の場合は、押すと足の中央部分が痛い。図を見ると横行結腸とある。何と手術した所だった、確かに当たっている。内臓などは直接触ったり感じたり刺激したりすることができないので、このツボは非常に有効だと思う。

 パーツの医療から体全体の医療へ、
          ガーンから、ビユーン ドォー ジワーッ!

 痛いから治った気がするかと思うかも知れないけど、どうも深い理由がありそうだ。人間は本来ガーン!と打ったり、体に悪い所(癌など)ができると、それがビユーンと脳に伝わって、脳から各器官にドオーと司令が出る。そうすると、いろんなホルモンが出たり、白血球のヘルパー細胞だの、キラー細胞だのが動き出して、体全体がジワーッと活性化して、怪我や病気を治してく。
 そのガーンからビユーンドォージワーッ、といずれの部分がうまく行かなくてもうまく治らない。そういう体全体の流れを見て治療したり、健康かどうか判断する必要があるのだ。東洋では「気」の流れとかいって治してきた。僕はそのジワーッとした医療を、「アジアの治療」と呼ぶことにする。今、そういった医療が西洋医学でも注目を集め、現代医学では手に負えない治療に積極的に取り入れられようとしている。それを、ホリスティック医療と呼んでる人もいる。

 西洋や現代の病院では、病気や怪我を体の各パーツ(部分)ごと、または何々系(循環器系・神経系)ごとに治療している。その進歩は細胞の研究から遺伝子の研究へ、だんだん小さく小さくなっていく。それは、怪我や人間と共有できないビールスに対する治療とか、遺伝子の病気には非常に有効だ。
 しかし生活習慣・体のバランスの乱れによって起きた、自分自身による病気には治療が難しい。ガンも自分自身の細胞が変化したもので、ガン細胞を殺そうとすると、正常細胞まで死んでしまう。小さく小さく見ようとしてきた医療も、今度は大きく大きく見ることも必要なのかも知れない。遺伝子から細胞、そして臓器から循環系、体全体。体だけでなく「心」も含めて病気を考える。
 人間の細胞一つ一つに意志があり、その細胞の意志が結合して、一つの個体となっている。細胞一つ一つに意志があるって、凄いと思いませんか?

 足が宙に浮いたようになって、ふらふら歩いてエッカマエの駅に行く。さっきの足裏アンマがあんまり痛かったので、肩や腰が凝った。いい考えが浮かんだ。今度は全身マッサージをしよう。カノクエートにマッサージに行くことにした。エッカマエの駅のすぐそばにある。カノクエートは、目の不自由な人がしている施設で、マッサージ師の腕も接客も設備もしっかりしている。
 大通りを少し入り、目立たない建物に入ると受付があった。まずはコースを選ぶ。僕は2時間の全身マッサージを選んだ。案内されて、カーテンで仕切られたベットに入って、服を着替える。すると杖を突いた青年がやってきた。「お願いします」と言うとゆっくり足の方から始まった。
 クーラーが効いてきてだんだん寒くなる。風邪をひくかな〜、とウトウトとしていると、2時間はあっと言う間に過ぎてしまった。何とも贅沢な時間だった。外に出ると夕方だった。
 さて帰ることにする。エッカマエの大きな通りはスクインビット通りといって、バンコックの中心に向かう大きな通りだ。夜になると屋台がいっぱい出る、とガイドブックに書いてあるので、歩いて中心に行くことにする。でも、ちょっと距離がある、約10q。歩いて行こう。
 日本の岡崎の家の回りは、いつも歩いているのでおもしろくないけど、異文化の街並はいくら歩いても飽きない。旅行中はいつも何qも歩く、元気になる理由だ。

 せかせかした大都会
 バンコックの人はあまり歩かない。若い人は特に嫌いらしい。日本人もだけど・・。すぐにバスやタクシー、バイクのタクシーに乗る。のんびりしていない。東京と同じでセカセカしている。でも、声をかけると反応はまったく違う。
 また、タイの人は暑いのも嫌いらしい、クーラーのある所はどこでもガンガンで寒い。よく風邪をひかないと感心する。皮膚が丈夫い。タイへ旅行する人は、上着が一枚余分にいる。スクインビット通りをのんびり、屋台をのぞきながら西に歩いた。エンポリアムという大きなデパートや、日本語で書かれたお店もちらほら。通勤帰りや買い物客で忙しい。
 表通りの若者の服装やビジネスマンは、日本とほとんど変わらない。ブティックも同じようなもの、マクドナルドもどこにでもある。ただ少し路地裏に入ると、タイなんだな〜と思う。人の表情が違う、匂いが違う、おもしろい。
 約1時間かかって、ナナ駅に着いた。前回来た時、この近くでも泊まった。外国人の多いところだ。ちょっと入るとゴーゴー・バーが何軒もある。ゴーゴー・バーはアルコールを出す店、それと女性。僕はお酒は飲まないので、入ったことはない。のぞくと「いらっしやい」と、大勢の女性にまとわり付かれる。そういうのは苦手だ。店の中はロックの音楽がガンガンと、真赤な照明。カウンターに座った白人が目をトローンとさせて、片手にビール、片手に女性を抱いている。う〜ン? これって幸せなんだろうか? 僕にはまったく解らん。
 疲れた。結局バンコックの中心、サヤーム・スクエアーまであとちょっとの所まで歩いて、バスに乗ってカオサンまで帰った。
 ホテルの部屋で少し休んで近くの屋台で夕食を取り、それでは、と夜のカオサン・ロードに出た。あい変わらず、通りはお祭りだった。道の両側にぎっしりと屋台が並び、両手にいっぱいアクセサリーを持った民族衣装を着た売り子たちが声をかける。トックトックやタクシーの間をぬうように歩く。
 世界中の言葉が飛び交い、酔っ払いの声やいろんな音楽も聞こえる。何やら怪しいものも売っている。日本人も必ずいる、そして何故か、みんな集まっている。旅の情報も集まり、バックパッカーの聖地、世界中の不良の天国みたいな所なのだ。
 世界で一番安く航空券が手に入るとも聞いた。ホテルも200300円から泊まれる。僕は、とりあえず蚊取り線香がほしい。昨夜、蚊が出て刺された。これからも必要なので、コンビニで買った。あちこちコンビニがいっぱい、日本と同じ、困らない。
 ぶらぶらしてホテルに帰ると、もう11時。早く寝なくては体に悪い、とシャワー。急いで薬を飲んで、今日1日を感謝してねんねした。
 が・・。外がうるさい、眠れん。ロックの音がガンガン、このホテルのシングルの部屋は、ナイトクラブの向かい側にあるのだった。夜中の2時3時まで、馬鹿騒ぎは続く。でも知らないうちに寝てしまった。

 3  19日 死体博物館

 今日の朝はカオサン・ロードの北、バンランプー市場に散歩に行く。オ!お魚がいっぱい、おもしろい。もしも、なっちゃんと一緒だったら1m進むのに10分かかる。キョロキョロして首も痛くなる。しかし、今は時間がないのでさっと通って、ボートでチャオプラヤー川を渡る。
 対岸のロット・ファイの船着き場には、わずか56分で着いた。明け方の大雨で、あちこち泥んこ。底の剥がれそうなサンダルは歩く度にジクジクいう。サンダルが壊れないよう祈りながら、泥水とゴミを避け、大きな建物に入っていった。シリラート大学病院だった。

 日本の医療関係者は医学知識を独占!
 この病院は先の国王が関係する病院でタイ医療の最先端現場。付属の『タイ薬学博物館』『法医学博物館』『解剖学博物館』があり、誰でも自由に見学できる。無料だ。今回の旅行の目的地の一つ。癌のことを知るだけでなく、人間の体がどうなっているか、実際の標本で勉強するのだ。
 人はここを『死体博物館』と呼ぶ。正しい!ここは何でもオープン。知れば知るほど、日本の医療関係者は知識を独占しようとしている気がする。病院に行って自分の病気を知ろうとしても、健康・医学の本は置いてない。
 また病院には必ずある専門書を、患者は見られない。あるのは喫茶店と同じで、漫画本と週刊誌だけ。インフォームド・コンセントがなかなか進まない理由に、医師会は患者の知識の問題をあげていた。しかし、患者が知識を持ってもらっては困る医者が多そうだ。医療関係者は治すだけでなく、体についてのさまざまな啓蒙も必要だと思うのだけど。
 治療の現場だけではない。「遺体を献体していただけますか」と言いながら、どんなふうになって、その後どうなっているのか遺族は知っているのだろうか。遺族は、遺体の解剖に立ち会うことができるのだろうか。
 医学研究への税金の使われ方、患者からの貢献・進歩の現実を一般の人は見ることはできない。わずかに新聞や医療関係者が書く本によってのみ、知ることができる。患者本人が、自分のカルテやレセプトを見たいと言うことも気が引ける現実では、察して知るべし。都合の悪いことは隠され、公になることは少ない。秘密の世界、聖域なのだ。そして医学生はいつのまにか、変な特権意識を持つようになる。
しかしこの病院では、献体された遺体の実物標本を見ることができる。しかも、『解剖学博物館』の標本の多くは、医療関係者のものと聞いて驚く。

 

                   

 まず大学に入ってウロウロすると、『法医学博物館』が目に入った。大学の事務室みたいな所を通って階に行くと、いきなり人のミイラ化した死体が三つ。木のガラスケースに入って、何故か傾いて立っている。
 案内を見ると、レイプ魔とか、幼女を何人も殺した犯人とか書いてある。真っ黒い蝋人形のようで、生きていた人の遺体に見えない。少し怖い。ここはなんらかの犯罪、事件・事故で亡くなって、法医学鑑定に使われた遺体やその一部が展示してある。船のスクリュウで切られた胴体とか、銃で撃たれた頭が展示してある。お〜〜恐い! 液体の中に漬けられ、切られた人間の手足は、何とも痛々しい。
 初めはそばに寄れなかった。しかし数分見ていると目がなれてくるのか、ただの物体のように冷静に見える。不思議だった。でも、さすがに写真は撮れなかった。

 回りを見ると、小学生や中学生もお父さんやお母さん、アベックも来ている。犯罪や事故に巻き込まれないようにしようね、とでも言ってるように聞こえる。すごくリアルで分かり易い教育。ん・・・、これが正しい家庭教育だ。日本で一般の人が見たいと言ったら、プライバシー問題とか、変な想像するとか、変な見方をするといって、まったく受け付けられないだろ〜な〜。

 僕は、死ぬことを忘れて生きてきた!
医療側の問題だけでなく、日本だと死とか死体を忌み嫌う。罰があたるとか、代崇る(たたる)とか、夜中になると人魂が飛び交うとか、変な噂がアッという間に広がるだろーな〜。タイは同じ仏教徒ながらまったく違う、体は単に借りもので、死んだら何かに生まれ変わると強く信じている。
 魂や死後の世界、目に見えないものをより具体的に想像している気がする。そういう思想が小さいものや弱いものに対する思いやりを育て、ボランティア活動がごく自然に行なわれている理由の一つなのかもしれない。これも死後の世界の一端なのだ、と勉強した。
 人は分からないものや、想像できないと、やたらに怖くてただ恐ろしい。日本では大家族がなくなり、長寿。ほとんど家ではなく病院で亡くなる。人の死を身近に見ない。死は自然なものなのに、より遠くの観念的なものとなってしまった。
 僕も、死ぬことを忘れて生きてきた、そして癌となって愕然とした。「死を知ることは、生きるを知ること」と分かってはいても、日常に追われる。気づく機会を与えられたのかも知れない。

 次に、別な建物に入った。学生が授業を受けている教室を抜け、4階まで上がると、『解剖学博物館』があった。古い建物、薄暗くてとても暑い。
しかし中はすごかった。部屋は大きいのが二つ。奥の部屋には男女2体の全身標本。全身骨格。そしていくつもの棚には神経・消化器、各臓器がきれいに標本にしてある。また二重胎児(シャム双生児)・水頭症などの異状胎児の遺体が数10体、とにかくすごい量だ。こういうのって、医者・看護婦のみならず、福祉関係とか教育・宗教関係の人も知るべきじゃないのかな〜。お化粧に熱心な人も。薄い皮の下はみんな同じ、美人も不美人も皮膚の色の違いも、人種の違いもない。
 癌治療の一つに、イメージ療法っていうのがあって、それを具体的にするためにも、どうしても来たかったのだ。普段人間は、目で外側ばかり見ている、まあ当然だけど。耳も鼻もすべて外部の情報を得ようとしている。人間の五感はすべて外側を向いて、自分の体の内側を見ようとしない。
 僕は、このことに気づいて驚いた。『人間は社会的動物である』とか、資本主義も社会主義・宗教も、すべてカラダの外のこと。『外見ではなく内側を見なさい』、こう言う時の内側っていう意味は、心の中のことを言うんであって、体の中のことではない。驚いた、これまで人間の文化は、体の外と脳の一部にのみあったのだ。

 『内側を見る』意味は、心だけでなく臓器もチェックすること!
 当たり前といえばそうなんだけど、自分が猿どころか、亀や金魚と変わりのない体を持つことを忘れたのだ。切り離された人間の精神と肉体の悲劇が、死への恐怖につながるのかも知れない。
 人はどこか痛い所があると、手でさすったり、たまには目をつぶって自分の体の中を見ようとする。でも、医学的知識なしには何も想像できない。元々そうだったのだろうか。体が比較的単純だった頃には、人間は臓器の感覚があったんじゃないのかな〜?単細胞動物から数十の細胞、数百・数千の細胞へと進化していくうち、体の中が見えなくなっていったんじゃあないだろうか。人間は細胞の集合体、炭素系ユニットだ。結局、人間の意識・精神のすべてはその細胞一つ一つから生まれてくる。
 その連絡・伝達が悪いと、何も感じない。だから、ひょっとすると、目を閉じ、神経を体の臓器・細胞へと集中すれば、体の異状が解かるかも知れない。癌だけでなく現代病の多くは、自分が病気であることに気がつかない、また病気であると、間違って信号を出してしまって自分を傷つける。1回は自分の体が健康かどうか内側を見る、そうすれば、自分で病気を治す力が強くなるのではないかな〜。『内側を見なさい』と言う意味は、心だけでなく臓器もチェックすることなのだ。
 続いて、『タイ薬学博物館』に行った。ここは、タイの伝統医療の紹介だ。大きなショウケースに等身大の人形が入れられ、昔の治療が再現されている。主に薬草類の展示だ。こね鉢ですりつぶしたりして作っている。癌にはこういう古代の治療、未知の成分が効くのかも知れない。タイの研究者も、ここにあるようなものはすでに研究してるだろうから、もっと奥地へ行こう。そう、ラオスの山の中に行ってみよう!と決めた。

 医者は科学者で唯物論者?医者は宗教家で唯心論者?
 博物館を出ると、昼を過ぎていた。お腹が空いた、食事だ!探して歩いて行くと、きれいな公園に出た。お庭には先の国王の銅像が立ち、花輪がいっぱいかけてある。みんな忙しそうに歩きながらもお参りしていく。白衣を着た看護婦さんや医者と思われる人も、熱心にお参りしていく。少しおもしろい。
 日本だと神様や仏様に熱心にお願いする医者は、腕がいいとは思われないだろうな〜。医者は科学者で唯物論者、医者は宗教家で唯心論者。どちらが望ましいのか、信頼できるのか、ここに医療を巡る大きな穴がある気がする。このことは、考えられていないのだ。
 例えば、手術室で、今にも死にそうな患者の、ごく細い血管を縫い合せているとする。ある医者は技術と知識を信じ黙々と繋ぐ、別の医者は技術と科学を信じながらも神様に祈りながら手術をする。どちらが助かるのか、それによって結果が違うのか。
 たぶん今の日本の多くの医者は、変わらないだろうと判断するだろう。でも患者の多くは、後者の方が断然助かる、治療の効果が上がると思うだろう。僕もそう思うし、そうだったらうれしい。
 実際、医療の現場では、患者が多くて流れ作業。多くの医療関係者は、「慣れっこになって作業として(マニュアルで)体を動かしている」と言うだろうけどね。しか〜し、手術台に乗せられた患者が「南無阿弥陀仏」とか「アーメン」とか、医者のつぶやきを聞いたら、すごっく恐いだろうな〜。声を出すのはやめてもらいたい。
 カフェテリアで昼食を取りながら、タイの医者なら何と言うのだろうかと思った。目の前には、席を譲ってくれた女医さんらしき人がいる。話をしようと思ったけど、気持ちもお腹もいっぱいなので次に進むことにした。
 帰りもボートで対岸に渡った。国立博物館の西側の細いにぎやかな通りを通って帰る。よく歩いた、疲れた。夕方、テムと会うことになっているので、時間ほどホテルで休む。だけど暑い、汗びっしょりになった。シャワー。
 午後時、冷房のないバスは窓をいっぱいに開け、排ガスや埃を吸い込みながら、ワールド・トレード・センターに着いた。ここには、伊勢丹とZENと言うデパートがある。近くにはソゴウ・デパートもあって、東京で言えば渋谷と銀座を合わせたような所。経済危機とは言っても、日本よりはるかに活気がある。テムとは、いつもこの伊勢丹の前で待ち合わせだ。

 テムとの再開
 待っているとすごい雨。タイの人は、雨が降ってもほとんど傘を差さない。傘持ってないのと聞くと、持っていてもささないそうだ。この時は、さすがにタイの人も傘を使うかと思いきや、ただ急いで走って行くだけ。
 やっぱりタイの人は横着だった? そうだ、お釈迦様でもただ寝て待ってるもんね。何を待ってるかって? そりゃー、ご飯だよ。
 待っていると、中年の男性が通る人に向かって一人で演説している。何を言っているのかまったく分からない。でもなんか怒っているよう、少し怖い。ホームレスらしかった。こちらにやってくる。あたりはすごい匂いになった。まずい、僕は少し逃げた。しばらくすると、ニコニコしてテムが現れた。
 テムは決して笑わない。まじめだ。そのテムがニコニコしてやってきた。「関本さん、元気でしたか?」「元気。うれしい、またテムに会えて」。テムとは、半年前に友人を通して知り合ったばかり。なのに、何千年も前から親戚だった気がする。類は類を呼ぶと言うけど、僕の友達はそれぞれまったくタイプが違う。彼のような友達は、日本にいない。どうしても親戚のような気がするのだ。タイの人なら前世は兄弟とでも言うのだろうけど。
 二人で、伊勢丹の中の日本食レストランに入った。テムは席に着くなりテーブルに、コトンと小さな機械を出した。「これを使ってください」。携帯電話だった。昨晩もテムは、僕に携帯を渡すためにカオサンに来たらしい。遅くなってしまったので、ホテルに寄らずに帰ったみたいだ。
「ありがたいけど、僕は携帯嫌いなんだ」、「でもこちらから連絡が取れなくて困るんです」。そうなんです、僕の泊まるホテルの部屋には電話がなく、都合が悪い。だけど、僕が旅行に来るのは、今までの自分の世界から距離をおいて自由になるため、縛られないためなんだけど・・。でも今は病気の身、緊急事態もありえる。ありがたく借りることにした。

 

 タイでも、ここ12年で携帯が急速に普及したらしい。でも日本の学生のように、耳にピッタリつけて歩いてるとか、自転車に乗りながらペコペコしているのは、見かけんかった。何事ものんびりのタイでは、時間に遅れることもしばしば、それで便利なのだ。遅れる時の言い訳にね。そんなの嫌だわさ、結局遅れる。意味がない。

タイの中産階級は結構リッチ
ここの日本食レストランは、週末とあってお客でいっぱいだった。お店は竹で飾られ、照明も豪華だ。僕はコーヒー、テムはお茶とシメジのバター炒めとヤッコと何とかで1300円位。
 こりや高いね。タイの物価はだいたい日本の3分の1。だけど日本人は見かけない、タイの人ばかり。タイの中産階級は、結構リッチなのだ。この店は日本人向けでなく、タイ人向けに営業している店。タイは今、外食ブームで、日本食に限らず、いろんなチェーン店が急速に伸びているらしい。タイすき、焼肉食べ放題、何でもある。それでテムに『そば屋』でもやったら、と話したんだけど、今の所その気はないらしい。
 日本のことやタイの事情、話はつきない。とりあえず今回のタイでの治療の予定、バンコックの『ファザー』と、チェンマイの『仙人』に会う手はずをお願いして別れた。

 ホテルに帰ると9時過ぎだった。今日も、あっと言う間に時間が過ぎた。今日はマッサージをしてない。そこで、フロントの奥に座ってるお姉さん達が僕を見てはマッサージ・マッサージと言うので、マッサージしてもらうことにした。足裏30分、タイ・マッサージ時間、合計で700円。室内は薄暗く、扇風機がカラカラ回りちょっと暑い。ん・・・、あまり良くない。まあこんなものでしょう・・、ということで薬を飲んでベットに入って寝た。クーラーを切ってね。

 

 

 

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