9  ルアン・パバーンに行く

 ホテルに帰った。荷物を持ってマヌーの部屋にさよならを言いに行くと、彼も荷物を持って立っていた。「な〜んだ、あと12泊するんじゃないの?」「・・・、僕も行くことにした」。何か嬉しいような・・。
 そんなに僕といて楽しいのかな? 彼は、僕の来たるべき武装強盗団のボディーガードを志願したのであった。彼の持ち物は、フランス軍のアーミー・バッグ一つだった。

 乗り合いバスの助手になる?
 バスの出発時間は朝10時。山岳地帯を通ってルアン・パバーンに行くルート。出発1時間前に行ったら、すでにバスは来ている。まだ客はいない。運転手の後ろ、一番前の良い席に荷物を置いた。時間はまだある、退屈だ。太極拳体操をしてグルッと見回すと、山また山と青い空。もっと高い所から山を見てやろうと、バスの屋根の荷物置きに上った。
 屋根にはバスの助手が上っていて、客の荷物を整理していた。体が鈍っているのでちょうど良い運動と思って、次から次に来る客の大きな荷物を屋根に送り、手伝ってあげた。二人の助手とは、言葉がまったく通じないのでしゃべらない。「サンキュウ」とも言わない。今まで、手伝うような人はいなかったんでしょう、不思議な顔をしていた。
お客は全員欧米人、屋根の上の僕にいろいろ聞いてきた。「このバスはルアン・パバーンに行きますか?」とか、「チケットはどこで買うのですか?」とか、僕はしっかり答えてあげた。皆さん僕を、しっかりラオス人の助手と思ったようでした。

 バスは時間通りに発車。マヌーが言った「どうして手伝っていたの?」「おもしろいじゃん」。納得できない顔をした。こういうのって、主人と従者の区別がはっきりした欧米人には、理解できないのかもね。マヌーが「それなら今から客席をグルッと回って、『危険地帯なので特別料金5000キープをいただきます』と言って、お金を集めてくれば?」。笑った「ザッツ、ベリー・グッド・アイデア」。
 バスは出発からすぐ、山道をグングン登り始めた。あたりは焼き畑に使っているのか、太い樹木はなく、中低木の木が密集している。数qごとに何軒かの高床の家があり、年寄りが僕らのバスを見送っている。でも、けっこう使われていない家もある様子、家族で出稼ぎに都市に出たんじゃーないのかな〜。
 バスは時々そんな村で一人、二人と客を乗せ、グングン高度を上げていく。右に左にハンドルを切るので、少し酔ってしまった。高いトンガッた山を左にそれて、高度約1000m付近でようやく稜線に出た。すごい! 山また山、見事に視界が広がった。焼き畑で、山が所々モザイク模様になっている。
 バスはいつのまにか、危険地帯のカシー以北に入っていた。この辺りでは99年頃まで、散発的に武装強盗が出たそうだ。それも外貨を持っている外国人観光客を狙って。このバスには僕以外は白人ばかり、少し緊張した。後ろの席からは緊張のためか、声一つ聞こえない。
 しかし、景色はすばらしかった。遠くは中国・ミャンマー、『黄金の三角地帯』まで見えるのかも知れない。あまり後ろが静かなので客席を振り向くと、何人かがバス酔いで気持ちが悪そうだった。

この辺りには少数民族が多い。バスが進んで行くと、独特のデザインの服や帽子をかぶった人達が目に入る。彼らは、何故か山の天っ辺・稜線に住んでいる。水に困るだろうと思うけど、谷底まで水汲みに行くのだろうか。なのに、100人ほどの大きな村もあった。やがて、バスはそんな稜線の村で停車した。午後1時を少し過ぎていた。

               

 「え!トイレ休憩?それとも食事?」。僕はお腹が空いて焦っていた。マヌーにも分からない。僕は運転手に聞いた、でもラオス語で分からない。こちらから身ぶりで聞くだけ。どうやら食事、指で2を出したので、2時までらしい。彼らは自分からお客に対してまったく何も言わないので、僕がアナウンスすることにした。
通路に立って大きな声で言った。「皆さん、当バスをご利用ありがとうございます。今から食事にします、2時には出発します。どうぞ貴重品をお持ちになって、お時間をお忘れなく」と、言ってしまった。マヌーはニヤリとした。
 みんな次々と降り、不安そうに僕に質問した。「何時頃着くんですか?」、「4時頃です」。「トイレはどこ?」、「その辺の山でしてください」。「食事はどこで?」。みんな適当に答えた。しっかり僕をバスのガイドだと認めてくれていた。

冷や汗タラタラ、これだから旅は止められない
 食事をしようと思ったけど、少々気持ちが悪い。マヌーを食堂に残してブラブラ、村に散歩に行った。村は一番高い峠にあった。観光客目当てにみやげ屋や食べもの屋がちらほらあるだけ。犬が数匹うろついている。
 食堂の前を通ると、僕らの運転手と助手が食事をしていた。僕に手招きしてる。行ってみると、食べろと言う。恐縮しながら少しいただいた。籠に入ったもち米と、幸い魚のスープだった。どうやら運転手も、僕をガイドとして認めてくれたらしい。ウキ・ウキ!
 しばらくすると、僕の目の前に野菜のヌードルが出てきた。食堂の中を見るとマヌーがウィンクしている。なるほど彼のおごりか、と感謝してまた少しだけ食べた。しかし、事態は意外な方向に展開するのであった。
 食事を済ますと運転手と助手は、さっさとバスに乗り込みエンジンをかけた。そして集合のクラクションを2発。「何?まだ20分だぞ!」、なのにバスが出発してしまう、僕は焦った。「あっー、そうかさっきの22時じゃなく、20分の2だったんだ」。
 「マヌーどうしよう? 僕、2時って言っちゃった」。乗客はまだ半分ほどしか帰ってなかった。「大丈夫、僕らが行ってしまえば、バスには誰も怒る人はいない」。「なるほど・・、そういうもんか!」。
 バスは又クラクションを鳴らした。すると、山の上の方から体の大きな御婦人が数人、ベルトの辺りを必死に押さえて、駆け降りてくる。悪いことしたな〜、とマヌーと顔を見合わせたのでした。
 バスは、ハーハー言いながらバスに乗り込んでくる乗客を、確認することなく出発した。「オイ・オイ!、みんないるのかな〜?」と確認したのはこの僕。彼らは最後まで僕をガイドと信じ、車を下りたのでした。冷や汗タラタラ、これだから旅は止められない。僕はいつのまにか寝てしまった。
 夕方4時頃、ルアン・パバーンに無事到着。マヌーにまた突然起こされた。バスターミナルはただのペンペン草の広場、木の葉で葺いた小屋が一つ二つ。辺りには建物もない。ルアン・パバーンはかつての首都、王宮がある『ラオスの京都』なのだ。1995年ユネスコの「世界遺産』に登録された、ラオス1の観光の町となったはずなのだけど・・。

 バスの乗客が外国人なのを見て、トックトックのドライバーとホテルの客引きが集まってくる。中に、二人の少し日本語の話せる人がいた。めざとく僕を見つけ、ホテルの名刺をむりやり渡してきた。「見るだけOK、見るだけOK」。
 白人はだませても、ラオスの客引きはだませない、僕が日本人だと見破った。とりあえず行ってみるかと、トックトックに乗って向かいの席を見ると、さっきのバスのアメリカ人がいた。不思議そうな顔をして僕を見た。僕はスマイル!

ブタペストそっくりのプーシー
 ホテルは、外国人があまり宿泊しない町の南側に決定。マヌーは僕に任せてる。町の北側は、インターネット・カフェやフランス風の奇麗なホテルやレストランが集まる。飛行機で来る観光ツアー客も多く、レストランに入るとまるでヨーロッパ。
あ!そうだ、この町はハンガリーのブタペストに似ている。ドナウ川があって見下ろす岩山に域や寺院。ルアン・パバーンにはメコンとその支流カーン川が取り巻き、町を見下ろすプーシー山がある。プーシーには古い寺院、山頂には大砲が据え付けてある。ブタペストにそっくりだった。
 昔〜し、このプーシーは、僕が求めて旅に出た『仙人』がいた。そして二人の仙人がこの町を作ったのだった。今もどこかに絶対いると思う、僕は見つけるぞー!

 約600円、部屋は広くホット・シャワー付。僕の部屋の前は裏庭があって、スイレンがある池がある。静かで奇麗なホテルだ。ホテルの人は『特別愛想が良いわけではないけど、不親切ではない』、そんな感じだった。ラオス人の僕の印象は、外国人に対して自然な感じ。だけど、自分たちとはまったく違う世界・関係の薄い人達と感じているようだった。
 「マヌー。夕食だ、市場に行こう」。町の真中のタラート・ターラー(市場)に出かけた。町は晴天続きで埃っぽい。大きな商店は少ないけど、ビエンチャンより商店街がある。マヌーはゆっくり歩くのが健康に良いと、二人でゆっくり歩く。気温が高いので早く歩くと、すぐバテてしまう。急いで歩くのはマヌケだ。何故か背の高いマヌーと歩くと、スピードがちょうど良い。
 「な〜んだ。どうして?」、市場はすでに閉まっていた。「メコンと、船着き場を見て食事はどう?」。旅する者にとって、寝る所と食事が大変というか楽しみ。見つかるまで歩く。それが元気の元、1日中歩いている時もある。
 岡崎市に居ると、せいぜい2時間の散歩、それも仕事みたいになってしまう。結局グルッと町をゆっくり、ゆっくり回って、市場に帰ってきてしまった。地図で見ると4qほど。バスに6時間も乗っていたので、固まった筋肉がほぐれてちょうど良い。

「ユダヤ人、彼らはいつもそうだ」
 近くの中華レストランに入った。肉なしで野菜チャーハン。待ってもなかなか出来ない。20分ぐらい待たされた。「どうしたの?」と店の奥に声をかけながら調理場に入った。するとおばさんと子供がテレビを見ていた。テレビは日本のマンガ、こんな所にも日本のアニメが・・。
 辺りはすでに暗く、人通りも少ない。ヌーッと、髪の長い白人のカップルが店に入ってきた。隣の席に座って何か注文した。ココナッツ・ジュースが運ばれ、二人して飲んでいた。ひそひそ声のように小さな声。しばらくして彼らに食事が運ばれると、声が大きくなった。おじさんに文句を「注文が違う!」、とでも言っている様子だ。そして彼らは怒って、食事に手をつけずに出ていった。マヌーが言った、「ユダヤ人。彼らはいつもそうだ」。

 彼らは兵役の義務がある。兵役を終えると長期休暇が貰えるので、よく旅に出る。時々会うけど、話しかけても返事がなく、無口の印象を受けていた。親の世代、1000年以上前の世代からの怒り・絶望を受け継ぎ、彼ら自身もまた、殺し殺される経験をしてきた。彼らの心は固く閉ざされているように感じるのだった。
 イスラエルは、アラブの前でいつも勝者だ、しかし戦争に勝者は居ない。

世界中の若者よ!危険な物に敏感であれ!
 ホテルに帰って池を見ていると、一人の白人男性が来た。挨拶すると、チェコの人だった。チェコとは珍しい、と話を続けても要領を得ない。どうも、ドラッグの類をしているみたいだった。ここにはその手の物がいっぱい売っているようだった。さっき、ホテルの人がノートを持ってきて、何か書いてくれと身ぶりで言ってた。寄せ書きだった。
 その中に日本人のメッセージが二つ。「楽しかった、どこどこがお勧めですよ」、そんな内容。そして、その中には「どこどこに行けば草(マリファナ)が安いよ」「あそこの品物は品質が良い」などと書き込みがあった。違うホテルでも、ドラッグの情報を何度か読んだ。確かにそうでしょう。でも、わざわざこんな所まで来なくても、どこでも買える。世界中の若者よ!危険な物に敏感であれ!

僕が書いた『最高にうれしい』、というのは悲劇の裏返し
 さて僕はなんて書こうかな? 考えれば考える程「癌のこと」になってくる。生きるか死ぬか、深刻。「今生きてここに居ることが最高にうれしい」そんな文章になった。
 そしてノートを閉じた。・・・何かが違う。別の感覚が沸いてきた。そうか、そうだったんだ、今までもそうだ。何かあると、いき詰まって行く。真剣そのもの。「僕には教育問題がある、政治の問題。環境・福祉問題・子育ての問題、生活の問題」。
 「問題・問題・問題・」、そ〜んなことばっかり考えたり、常に問題を抱え何かをしようとしていた。他のことを知らない、いつも休まらないじゃないか。旅行の時でもそうだった、いつも目的を持って、何かしらして日本に帰った。
 僕が書いた『最高にうれしい』、と言うのは悲劇の裏返し。「寄せ書き」にすら真剣にしか対応できない僕は、以前と変わりがなかった。『あと何年生きるではなく、今日から生まれ変わる』。これからが僕の人生なんだ、と言っていた自分はどこに行った。
 ば〜かだな〜、かわいそうだったな〜。脳がストレスを感じていると、体はリラックスできない。自分の体に謝るのであった。

30日 すべてブッダの思し召し
こうやって毎日、ブラブラしてるかと言うと、そうでもない。一応予定があって、それによって動いている。次は113日にテムとタイの北部・チエンマイで会う。まずはタイとの国境、ファイサイに行かなくてはならい。直線距離で200q。マヌーも一緒にタイに行くと言う。
 「マヌー、どうやって行こう。ボートが早そうだけど?」。マヌーはすぐ答えた 「パワー・ボートは危険だよ、ついこの間も一人亡くなったそうだよ」。それはそうなんだけど、メコン川に沿って道がない。
 僕らの感覚だと大きな川に沿って、道がある。しかし、調べても、近くに細い道すらなかった。道路で行くとすれば、まず北に向かって更に、西に行くルートがある。約400q、凸凹道で3日はかかる。テムとのランデブーに間に合わない。パワー・ボートなら8時間。「飛行機も危ないけど、飛行機にしようか?」。とりあえず航空会社に行ってみた。
 飛行機は週3便だけ、週末にかけてお祭りがあるためか、満席だった。マヌーが「飛行機も駄目。どうしよう?」、僕が言った「ブッダがすべて教えてくれる」。彼はニャッとした。彼は一人になると音楽を聴くか、仏教の本を読んでいるのだった。
 朝から昼にかけ、有名なお寺を回った。ラーマット、ワット・シェントーン、等々。プーシーにも登ったけれど、『仙人』は居なかった。お寺には金ピカの像と、あちこちに英語で『寄付を下さい』の看板・箱があって少々辟易する。ラーマットでは、地元の人がお祭りをしていて、食事に誘われた。
 プーシーを下りてくると、靴の修理屋があった。マヌーは底がペカペカになってきたので、スリッパを直した。丁寧に張ってくれて、修理代は60円。そのスリッパは、ベトナムで60円で買ったそうだ。修理代と同額でおもしろい。一度ベトナムでも直したそうだ。その時修理屋は、底にノリを付けると、地面にペッタンと叩き付けて、「さあ、履いてー」と渡したそうだ。修理にもお国柄がある。

 頭が中学以来の坊主だ!
 午後から髪の毛を切りに行った。3時からとあるので3時に行くと、まだ開いてない。30分過ぎにオープン、髭も奇麗に剃り落とした。眉毛もついでに剃るか、と聞かれたけどやめた。15千キープ(約200円)。
 テムの紹介でお寺に入るので、髪を切った。本当は必要はないのだけど、生まれ変わって別の自分になるのも良いな〜と、思ったんだ。でも、そんなんでは人間変わらない。
 終わって鏡を見ると、口の上に髭が無〜い、頭が中学以来の坊主だ。何とも寂しい顔になってしまった。でも、若くなった気がする。マヌーは更に短い髪を短くした。彼は2週間に一度は切るそうだ、頭が暑いだろーに。
 二人とも頭がすっきりしたところで、市場タラート・ナービエンカムに行った。土地の果物や並んだ鶏がおもしろい。マヌーは鮮魚コーナーが苦手、あまり魚を食べない人達には、この匂いは耐えられない。確かにお魚の匂いがすごい。床が土なので、長年の匂いがしみ込んでいる。しかも暑い、伝染病など発生しないのだろうか。そのわりに蝿や蚊が少ない。それなりの天敵がおり、バランスが保たれているのだ。
 市場の帰りに中学生ぐらいの子が、ギターを弾き、歌ってるのを発見。拍手すると盛んに照れる。僕もギターを借りて歌った。帰り際にピック(爪の代わりに弾く物)をあげたら、「本当にくれるの」と、何度も確認された。本当にうれしそうだった。

 これは僕にとって初めての経験、新鮮な驚き
 夕方、マヌーが、キープ(ラオスの通貨)がなくなったので両替したいと言う。ラオスの通貨は信用度が低く、再度外国の通貨に変えることはできない。タイに行けばただの紙切れになる。だから、使い切るだけしか両替できないのだ。
 明日の船賃がない。僕も、タイのバーツ(船賃)と1回分の食事代しかなくなってしまった。いつもはよく目にする両替や銀行が、探すとなかなかない。
 町をぶらぶらしているうちに、6時過ぎになってしまった。マヌー「どうしよう、髪の毛切ったおかげで、食事代も不自由だね〜」。僕「それもすべてブッダの思し召し、もし明日タイに行けというなら、今からでも両替えできるよ」。すると、あら不思議、本当にシャッターが閉まる寸前の銀行で両替できた。
 僕は今まで、どんなドアでも「開けよう・開けよう」と無理矢理こじ開けようとしてきた。でも病気をして知った。ドアには頑丈な鍵がかかっていることもある、鍵を見つけることや別のドアを探す、場合によってはあきらめることも必要なのだ。
 そういうことを僕は分かっていた。否、つもりだった。でも知ってはいても『鍵を探すことや別のドア』を必死にさがしていた。疲れる!そんな時、坊さんである林さん、森山夫妻、テム、みんなが気を付かせてくれた。「やっても駄目なら受け入れる、投げる、ほおっておく、レット・イット・ビー!」。すると案外、物事はうまく行くのだった。
 これは僕にとって初めての経験、新鮮な驚きだった。誰かが導いてくれる、信じられる、そんな気持ちになれるのだった。皆さんに本当に感謝している。

 トーマス・ジェファーソン
その銀行には知り合いの先客がいた。何と、先日会ったニセ日本人。以前会った時とまったく同じ服装・スタイル。「やあやあ!日本人。ここで何してるの」。「今日この町に着いた所で・・、ぺらぺら・・」と、相変わらずの日本語靴りの英語でニコニコ答えた。両替したレシート持っていたので、「それ見せて」と言うと、予想に反して僕に渡した。というか、僕が無理矢理取った。名前を確認したかったのだ。
 むむむ・・、やはり、名前の欄はローマ字でトーマス・ジェファーソン。あんたはアメリカの大統領か〜。そして署名の欄は漢字で古田博友。やはりニセのパスポートを持っている。バンコックかどこかで買ったなー。これはちょっとやばい、マヌーに目配せして、話すのを止めた。
 彼はそんなことお構いなしに、今からどうすると聞いてくる。「今から食事」と言うと1緒に同行してもいいか、と聞いてくる。マヌーと僕はOKと答え、ホテルの近くのレストランヘと向かった。
 僕は知ってしまったので黙っていた。マヌーが話し相手をさせられて、適当に答えながら店に着いた。マヌーと僕は、飲み物と野菜炒めを食べた。しかし、彼は注文以外に、ビニール袋に入っていたパンを出して食べた。更に、それでも足りないらしく、マヌーが残した野菜炒めを食べた。食事をしてなかったな〜?そう思った。泊まっている所も普通ではなさそうだった。
 数年前、バンコックの『日本人少女』、というのがこちらではちょっとした話題になった。タイの東北から出てきた少女に、タイの大勢の人がだまされた事件があったのだ。カタコトの日本語を話す少女に、多くの人が信じて食事やお金を貸したそうで、「何故、簡単に騙されたのか?日本人に対してよわいのか?』などと騒がれたそうだ。トーマスも、自分は日本人と言って、金持ちであることを印象付け、何がしかのお金を騙し取っているのかも知れなかった。これ以上彼と関わると、ナイフか何かで刺されるかも知れない、と思ってすぐ別れた。

スイレンの花が真っ白で奇麗だった!
 どうやってファイサーイに行くか、ホテルの人に相談した。「パワー・ボートで行くのが普通。ボート乗場まで送って行くからそうしたらいい」。ボート乗場場まで北に7q、ホテルはタクシー業までしていた。マヌーはボートを嫌がってたけど、ようやく納得した。身を任せる楽しさを彼に話した。「メコンに沈めばそれはそれ、なるようにしかならない」。「フム・フム・・、OK」。
 月明りの中、庭に出て見るとスイレンの花が咲いていた。三つ四つ、人知れず空に向かって咲いている。真っ白で奇麗だった。

 

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