12 難病患者のための施設 『スワンプラチナカム』

 チェンマイから北に10q程行った所に、「スワンプラチナカム」と言う施設がある。なだらかな山の中腹、木々に隠れるように白い施設が建っていた。50人ほどは入れる建物と、周辺にバンガロー風の山小屋がいくつかあった。僕ら4人は、昼過ぎに到着した。ここはお寺が運営する療養施設、世界中から難病の人が集まってくる。
 主にガンやエイズ患者で、僧侶の指導の基に瞑想やピラミッドのパワーで治すと聞いて来た。テムはここのお坊さんのパワーはすごい、何でも治すと尊敬していて、僕に薦めてくれた。前回は時間切れで来れなかった。今回、ひょっとすると『仙人』に会えるかも知れないれないと思って、ぜひ来たかったのだ。

 ここは1カ月に一度、無料でセミナーを開いている。食事や宿泊も無料だそうだ。今日は5日間のセミナーの初日、テムが予約してくれていた。施設を覗くと扇風機が回り、白い服を着た数人が瞑想していた。入り口でテムとコーディネーターの人と話した。
 どうも話がおかしい、すでに部屋がいっぱいで無いと言う。僕としては、体調を崩さないよう、23日試してからと言ったのが問題のようだった。伝染病の人がいるのか?寝る所、どんなことをするのか、まったく知らないので、判断できなかったのだ。
 コーディネーターの人は、「この施設には申し込みが多くて、どうしてもと言う人が大勢いるので」、「宿泊は出来ませんが、ぜひ参加してください」と言った。そして元スチュワーデスのその人は、僕に英語で「どんなことでも言ってくださいね、あなたが強く願えばそのようにできます」と言った。僕は「?・・」。とりあえず毎日通うことにした。

 施設では朝4時半に起きて、午前と午後2回づつ、計4回のトレーニングを行なう。その他の時間は自由にトレーニングを行なう。今日は午前にガイダンス。
 午後の瞑想が始まるまで時間がある、食事をいただいた。食べたかった完全菜食。これはおいしい!入寮している人が作るのだそうだ。野菜のビスケットなんかもそれぞれ持って来ていて、いただいた。添加物や油や動物質を取らない等、世界中のガン患者としていることが同じなので、ある種の感動をした。

 

             

 仙人様のお名前は、ラッタナム師と言った。高僧と呼んだ方が良いかも知れない。が、タイのお坊さんはみなオレンジ色の袈裟を着ているので、お弟子さんと見分けがつかない。
 タイは小乗仏教なので、長い間、厳しい修業を積んで来られたのだろう。結婚もせず遊びもせず、ひたすら修業で人々の尊敬を得ている。僕のように冗談のネタにすることはないようだ。ラッタナム師が穏やかな顔をして、部屋に現れると、トレーニングが始まった。

 瞑想トレーニング
 まずは瞑想の仕方から。足は自由に組んで、額の中央に神経を集中する。ゆっくりと呼吸しながら、大気のエネルギーを額から入れて、からだの外に出す。そのエネルギーをまた、宇宙に返して体に入れる。それを何度もゆっくり繰り返す。
 次に、部屋に置かれたピラミッドを通して、エネルギーを体に入れる。そして体から出す時、体の悪いものすべてを出すイメージで行なう。病気で悪い部分だけかと思ったら、あらゆる欲望や、悲しみ喜びもすべて洗い流すようにする。
 1時間ほど瞑想して、質問タイム。師が帰っていくと、代わってコーディネーターの人が更に詳しく指導した。

部屋には金色の等身大の仏像が置かれ、よく見ると空中に浮かんで座禅を組んでいた。これはすごい、と思ってよく見ると、後ろに支えがあった。話に聞いていたピラミッドはどんなのかと思ったら、意外と小さく、茶色の10pほどの物。部屋の中央に鉄の三角のやぐらの上、人の高さほどの所と膝の高さぐらいの所、2ヵ所に置かれていた。
 ピラミッドはこの部屋以外にも、施設の周りにいくつか置かれていて、エネルギーがあふれ健康になるそうだ。更に指導にしたがって瞑想すれば、もっと高いエネルギーが得られ、どんな病も治るそうだ。
 確か何年も前、日本でもピラミッド・パワーと言うのがブームになったのを覚えているけど、こんなところでまた会えるとは思わなかった。信じようと信じまいと、信じた結果なのか、たくさんの現代医療から見放された人がここで治っていく。人間の不思議さだ。

同じ痛みを持った人が集まって、話し合うことも治療
 今回のセミナーの参加者は、全員で40人ほど。本人の意思、家族や友人に薦められ、やってきた。僕ら以外は、ここの施設や近くに家を借り滞在している。自分でなんとか歩ける人がこの部屋に集まり、病気の重い数人が部屋で瞑想をしているそうだ。後で話を聞いてみると、ほとんどがガン患者だった。
 僕の前で瞑想していた50代の女性は、末期の骨髄腫だそうで、抗ガン剤治療を受けた後やってきた。髪の毛を覆ったスカーフの下から何本もの髪の毛が抜け落ちていて、痛々しかった。彼女は大学院を出た程のインテリで、英語を話した。こういうことをするのは、アメリカでもヨ―ロッパでもインテリが多い気がする。それで、結果的に生存率が高いのだろうか?今のところ誰も知らない。
 ガン治療についての考えは、僕の調べたものとほぼ同じ、世界中同じ方向を向いてることが確信できた。ここでしている瞑想の効果以外に、同じような悩み痛みを持った人が集まって、話し合うことも治療になっている。むろん、仏教に対する信仰も力になっている。
 マヌーは、一番後ろで椅子に座って聞いていた。通訳してくれる人がいなくて、何が何やら分からなかったそうだ。でも貴重な体験と意味深な顔をしていた。
 2時間座っていて足腰が痛くなった頃、ようやく終わった。僕は泊まれるものと思って荷物を持ってきたのだけど、残念、またトックトックに積み込んだ。テムがこの辺は観光地が多い、と言って観光名所の滝に連れて行ってくれた。

 夕暮れ迫る頃、滝が見えるオープン・テラスでジュースを飲んだ。少し寒い。滝は数m、水量も多くない。タイは平らな国なので、数mの滝でも観光になるのだ。
 テムは、僕がマヌーと一緒の時は英語で話す。途切れなく、ズゥーと話す。話しっぱなしで、疲れない?と聞くと、「大丈夫、エネルギーもらっているから」。「ん!なるほど」、マヌーと顔を見合わせた。トックトックの騒音にも負けず、滝の音にも負けないで話していたら、僕も話し過ぎで喉が痛かった。

 朝チェックアウトしたゲストハウスに、また泊まることになった。何となくがっかり。テムに、僕らと一緒にここに泊まったらと薦めると、400バーツ以上のホテルしか泊まらないそうで、どこかのホテルに帰って行った。
 夕食にマヌーと出かける。お粥がおいしかったので、先日の店に行ってまた食べる。どうも豚肉が入っているようだった。食後、マヌーは頭が痛いとゲストハウスに帰った。僕は一人でナイトマーケットに行った。そこでクーポン券を使うレストラン街で野菜など、また食べた。1日中暑いし、体力を使うのでお腹が空く。家にいるときみたいに間食もしない、これは体にいいよね。
 体の具合は絶好調だった。手術の後、あちこちの関節が痛かったのが、いつのまにか治っている。特に日本で何回も整骨院に通った膝が、痛くないのにびっくりだ。

微笑みの国タイランド?
 ナイトマーケットはチェンマイのカオサン、外国人がたくさん集まる。フラリと歩いていると、チェンライからのバスで見かけた日本人に出会った。本物の日本人は久しぶりなので声をかけた。「また会いましたね〜」と言うと、彼は身を退いた。
 僕の顔を覚えていたけど、日本語で話しかけられて、びっくりしたようだった。いかにもアジアを放浪しているといった格好。サイケなズボンに着古したシャツ。日本の人で30代、一人で旅する人は珍しい。お見かけ通りのさすらいの人だった。少し話したけど最後まで、僕のことを不思議そうに警戒していた。
 たくさんの外国人を見かけるけど、ニコニコしている人は少ない。固い表情。ど〜も怒ったような顔をしている。せっかく遊びに来ているんだから、もっとリラックスしたらどうなんだ、と思うのであった。
 でも、一人で旅していると、騙されたり、危ない人が寄ってきたりするので、気がつくと険しい顔をしていることに気づく。しかし、ツアーの団体さんは気楽、のんきそうにポカーンとしてたりする。では現地の人はどうか、『微笑みの国タイランド』と言うけど、誰もニコニコしていない。どうしてだ〜―。
 病気になって僕は、運命を何かに人生を預けた、するとどうだろう。けっこう何でも楽しい。例えば、厳しい顔の人に声をかける、初めはそっけない。次にもう一度リラックスして話しかける。するとどうだろう、がらっと相手の表情が変わる。しばしば微笑みが帰ってきた。心を開く?そうだったのか〜!と、一人納得するのだった。

4 日

 今日は日曜日。あちこち行っても、タイ式の食堂はどこも閉まっていた。朝御飯が食べられない、なんてことだ〜―。仕方がない、向かいのレストランで洋式のブレック・ファーストを食べた。高くて、何とも味気ないー。
 約束の時間より遅れてテム登場。今日テム達とは別行動。彼らはチェンライに遊びに行く。ジープを借りてやってきた。僕らは彼らに送ってもらって施設に行く。
今朝もテムは快調、まじめな顔で話しっぱなし。マヌーもまじめな顔をして聞いている、そして、どういう訳か、今日も僕に付いてくる。

 ラッタナム師の瞑想トレーニング
施設に着くと、みんなに歓迎された。うれしい。今日はテムがいない、どうやってお話を理解するか?と思っていたら日本語を話す人を紹介された。マヌーにも英語を話す人が紹介された。
 日本語に通訳してくれたのは、メムと言う30代の女性だった。ただ、瞑想のような抽象的な概念を日本語にするのは困難だ。彼女はとってもチャーミング。観光会社に務めていて、ボランティアでチェンマイ市内のピラミッド・センターで手伝いをしているとのことだった。ピラミッド・センターは、ここのお寺が運営している施設だ。彼女以外も、ほとんどの人がボランティアで働いていると聞いた。

 

 

 

 

 

 

                   

 建物の中でおもいおもいに瞑想。しばらくして、ラッタナム師登場、トレーニングが始まった。ラッタナム師は何度か来日したことがあって、昨年も講演・講習を依頼されて、6カ所のお寺で指導されたそうだ。仏教界におけるタイと日本の関係は、意外に深い。師以外に日本に来たお坊さんもいて、彼は少し日本語が話せるそうだ。
 今日は、昨日の瞑想トレーニングをより具体的にイメージする。自然や宇宙を感じ、あふれる光を感じ、体の中を通す。よりたくさん。そして体の悪い所をイメージして、その光で洗い流していく。『シュッ、シュッ、』とブラシで擦るように、からだの細胞一つ一つ磨く。1時間、体を揺するように全員でした。それぞれの座蒲団の横には、トイレットペーパーと壷が置いてあって、体から出てくる物を吐く。その後、質問タイム。そしてまた瞑想をする。
一瞬、どこかで見たような光景。「オウム真理教」の道場。皆さん白い服、でも背中に『修業するぞ〜』とは書いてない。あれはこういうトレーニングのまねしたの?、とはいっても、これがトレーニングなのか修業なのか、傍目では分からない。修業が悪くてトレーニングが良いのか?、はたまたどちらが効果があるのか?
 オウムが事件を起こし、結果的にすべてのオウム的なものを否定してしまうなんて愚かだ。かつてのオウム信者と同じ。いつでもすべてを疑い、自分で考え自分で判断する。それでも分からなかったら、何かに任せる。

ピラミッド・パワー
 このお寺の活動についての説明もあった。このお寺では、寄付を集めて山岳少数民族の人達のための援助をしている。そして、何人かの子供達の教育資金を出している。ぜひとも寄付をお願いしたい、と話があった。そしてこの施設の運営にも、一人当たり2500バーツかかります、と具体的な説明も。みんな黙って聞いていた。
 そして、ピラミッド・パワーがいかにすごい力を持っているかについて。そして、高さ3pほどのピラミッドを見せて、家に帰ってどうやって使えば一番良いかなどの説明。すると当然のように、「売ってくれるんですか?いくらするんですか?」と質問。答え「これは売り物ではありませんが、貸します。少し高額な寄付をしていただくと差し上げます」ということだった。
 売るのと、寄付の代わりにあげるのとどう違うのか?本当にあのピラミッドにパワーがあるのか?、疑うとダメなのか?ヨ―ロッパ的合理主義を身に付けてしまった僕には、分からない。
 ま〜、「そのピラミッドに力がある」と言うのは話としてはおもしろいけど・・?だけど先入観をできるだけなくして、与えられたチャンスを全うすることにする。人間のすること、信じることにはすべて理由・必然性があるのだ。

僕は修業が大嫌いじや〜〜!!
 瞑想の後は、おいしい菜食のランチ。おかずが5品ほどあり、いつも豪華。タイで一番おいしい。いつも特別な人達が集まる団体には違和感を感じるけれど、部外者であり外国人のマヌーと僕は、ここでは不思議と疎外感・違和感がなかった。
 外国人と言えば、患者の中に一人の背の高い白人がいた。自分で歩いてはいたけど、かなり痩せてガン患者と思われた。僕らと目を合わせることもなかったので、話すこともなかったけど、彼は心を閉ざしているように見えた。ほとんど誰とも話をしていなかった。
 ここでの生活は、お坊さんと同じで厳しい。酒・煙草はもちろんダメ、歌もダメ。大きな声もダメで、生活に必要なものだけしか持ち込んではいけない。
 ほとんど運動らしいこともしない。周りには林だけ、何もないので、のんびりする。が〜!僕はこんな状態ではのんびりできない。すぐ施設から出て行こうとする。みんなが言った「フー、また、煙草か〜!」。いやいや、そんなことはない。退屈で退屈で、森や村に散歩に行くのだった。
 インドの佐々井秀嶺大先生は、「関本先生、インドでは生きているだけで修業なんですよ」と、おっしゃった。何故か僕は自分から進んで、修業のような所に来てしまう。でもこの際はっきり言わしてもらう、「僕は修業が大嫌いじや〜〜!!」『欲望は自分自身じゃ〜!』。僕はガンになっても煙草も止めれん。

 と言いつつも命が欲しい、午後からもおとなしくダイナミック・メディテーション。師が弟子を連れて登場。若いと思ったお付のお弟子さんは、けっこう歳がいっていた。タイでは年齢に関係なく仏門に入っていくのだった。
 ダイナミック・メデテーションとは、先にしていた瞑想のことらしい。通訳のメムが自分で瞑想しながら適当に話してくれるので、油断が出来ない。扇風機が廻ってくると少し寒いけど、眠ることなく、おとなしく終わった。
 「明日も来る?」と聞くので、「当然!」と答えると、「じゃあ荷物を持ってらっしゃい、明日はここで泊まればいいじゃない」「え・・?本当に良いの?」。みんな泊まってるから問題ない、コーディネーターの人に話しておく、と言うので明日は泊まることにした。

 近代医療では治らない病気の治療に、瞑想
帰ろうとすると、一人の患者さんが送ってくれると言うので、市内まで同乗した。マコーミック病院の前で降ろしてもらった。びっくり!彼女は医者で、マコーミック病院のオーナーだったのだ。その病院はチェンマイでも指折りの病院、近代的で大きな病院だった。
 つまり、近代医療では治らない病気の治療に、僕らと同様に山に通っていた。彼女以外にも、医者や医療関係者が毎月のトレーニングに参加するそうだ。彼らにとっても治療を否定することができない、効果がはっきりあるのだった。

 テムは夕方、飛行機でバンコックに帰って行った。現代のタイ人は見かけはのんびり、実はけっこう忙しいのだった。
 夜は、またまたナイトマーケットに出かけた。そこ以外に夜歩ける所を知らない。何故かこの町では、いかがわしい人達から声がかからない。でも、通りにぎっしり並んだ屋台からは、いろんな言葉で話しかけられる。
 マヌーといるので、彼らも何語で話しかけたら良いのか戸惑う。日本語で、英語で、フランス語で「安いよー!」。マヌーは、時々正しいフランス語の発音を教えてあげる。日本語も発音がおかしいので教えてあげたりする。僕も、カタコトのタイ語で話しかけてみるけど、ほとんど通じない。食事が済むと、マヌーはゲストハウスに帰っていった。

 帰りに、タイのサッカーをターペー門の広場で見た。タイのサッカーは、トウで編んであるボールを地面に落とさないように蹴る。バレーボールのコートのような所で、両チームに分れてする。タイではどこでもしている人気のスポーツ。百人ほどの人が熱心に見ていた。以前、1回蹴らしてもらったけど、ボールが固くて足が痛かった。
 マヌーは瞑想の効果が出ないのか、相変わらず頭痛がするのだった。マッサージを薦めたけど、後で病院に行くそうだ。僕は一人でマッサージに行った。ターペー門の近くには10軒ほどのマッサージ屋が並んでいる。ほとんど女性がしている。ほとんど客はいない。その中で一番強そうな人にお願いした。
 マッサージの先生だと言っていたけど、痛いだけだった。彼女はご主人と離婚、親許に子供を預けてチェンマイで生活しているそう。タイでも離婚が多い、寂しそうだった。

5 日

 4時に起きてしまった。まるで寺の生活だ。また寝て起きていつものタイ式朝食。テムの友達のトックトックを待った。彼が行き帰り、400バーツで送り迎えをしてくれることになっていた。
 僕らはチェックアウトを済ませ、荷物を持って外にいるのだけど、なかなか来ない。マヌーは「彼はもう来ないよ」と言う。僕は「タイ時間だよ、そのうち来る」。待つこと30分、ようやく現れた。学校に送るのだろうか、かわいい男の子を連れてやって来た。タイ時間とはいつでも遅れること、タイで時間を守ろうとする時はどうしたらいいんだろう?とにかく、後ろの席に3人で座って施設に出発した。

 施設に着くと、みんなにまたまた歓迎された。どうもこちらは真剣なのに、遊びにでも来ていると思っている雰囲気だ。ガンの仲間達、何となくうれしい。
 午前は、鼻と胸、お腹のそれぞれの左右6カ所に、エネルギーを通し循環させるトレーニングをした。なるべく早く循環させる。そして悪いものを取っていく。2時間。
 午後は体のストレッチ。リラックスさせる方法の指導。東西南北に立ったり座ったりして、体を揺する。その際、体にピラミッドを感じながらするとより効果が上がるそうだ。
 2時間、かくして瞑想は終わった。

 信じることは、強い何かに包まれてしまうようなこと
 昼、メムに「今日は泊まるからね」と言うと、驚いた顔をしてコーディネーターに相談に行った。帰ってきて「それは困ります」と言うではないか。昨日はOKだったのに、どうなっているんだ?仕方がないので帰ることにした。午後の瞑想の後、メムが寄付金のお血を持って廻った。僕とマヌーは話し合って、みんなより高額な寄付金を血に乗せた。

 「さてマヌー、帰ろー」と言うと、メムがやってきた。今度はぜひ泊まっていきなさい、と言うではないか。これで4回も変わった。何となくすべてを理解した。僕らはいつも試されていたのだ。信じること、修業すること、まじめに行動すること等など、ヒッピーにでも間違われたのかな?ん・・?
 たぶん、初めから「信じています、どうしてもお願いします」と言えば、泊まれたのではないのかな?僕は思った、神様でも人の心を試すのはいけないよ。でも女性は、男性を試してもいいような気がする?
 僕は今まで、何も信じることは出来なかった。悲しいよね、そういうことって。でも幼児期にそういう育てられ方をした、すべてに不安だった。気づいたけど、努力してもなかなか信じることはできない。
 だけど病気をして人の優しさに触れ、何かを信じることを教えられた。そして気がついた。信じることは、こちらが否定しようとしまいと、努力しようとしまいと関係ない。強い何かに包まれてしまうようなこと。
 どんなに疑っても最後に残るもの、ほっといても信じさせてくれる力。そういうものがこの世界にあるってことが分かった。「薬」でも『神』でも同じ。「信じれば救われる」と言うのを信じる必要はない。「信じてくれ」と言う人は「自分が信じられないものを持っている」と思っているから、そう言うのだ。
 おかしいと思えば、とことん疑えばいいのだ。そして最後に何かが残る。それに会うまで疑えばいい。
 明後日は解散、明日1日あるけれど、ほぼイメージ・トレーニングの全体が掴めた。マヌーの頭痛が取れないので、明日は病院に行くことにした。お世話になったみなさんにお礼を言ってお別れをした。施設の人が車でバス停まで送ってくれた。
 チェンマイ市内に帰ってくると、夕方だった。さて今夜の宿、マヌーはどこでも良いと言ったけど、僕は違った雰囲気が欲しかった。マヌーは、レストランで何か飲みながら待っている。今度はターペー門の近くを探すことにした。1時間以上、10軒ほど見た。なかなか良いゲストハウスがない。歩き疲れた。結局、昨日と同じ所に戻ってきて、向かいのホテルにチェックインした。

 本物の宗教は人間の自我や欲望を否定しないし、それゆえの苦悶もすべて受けとめてくれる
 夜、レストランで、いよいよ仏教をマヌーに説明することになった。前から『禅』とか大乗について聞かせてくれと言われてはいたけど、これがまた大変。自分でもよく分からんし、まして違う言語で話す、やっかいだ。
 まず、仏教は仏教でも千差万別。日本だけでも、宗派が大きいものでも6ある。それぞれ考え方やお経が違う。だいたい、お経(聖典)が違っていて同じ宗教と言えるのだろうか。今の日本の仏教は変わっている。
 「あれをしなさい、これをしてはいけません」などと、生活の規範を教えない。昔はあったかも知れないけど、これは世界の宗教では珍しい。
 マヌーは、フランス語で書かれた仏教のそういった教えを読んでいる。タイの仏教にもそれがある、書店に行くと、仏教の本が何冊も置いてあり「仏教の教えとはこういうもんだよ」と書いてある。また仏教の週刊誌もあって、写真付き『今週のお坊さんコーナー』見たいな記事がある。おもしろい。日本の書店で仏教書など見たことがない。あっても専門書で読めない。何故か?

 いろいろな仮説の中に、『他力』と言う教えがある。タイのように小乗仏教では「個々それぞれが、修行や徳を積んで仏になる」に対して、大乗仏教は「みんなで信じて(信じなくても)お祈りすれば、仏が迎えに来る」と言うようなもので、一般の人は特に修行は重要ではない。
 キリスト教でも、似たような違いがあっておもしろい。ど〜も、ちまたの神様や仏様は、悪いことをすると罰があたるとか、地獄に堕ちるとか、恐ろしい。どうも罪作りだ。また、お賽銭を多くすればより御利益が上がるとか、その辺の商売人や政治家がしそうなことをすると思われる。

 僕だけかも知れないけど、またいかがわしい宗教ほど、布教に熱心で、身が引いてしまう。だけど本当の神様や仏様は、もっと寛容なのだ。僕がそういうものを感じることができなかったのは、現実の縦社会のように、『他者が高い所から指示してくるもの』と思ったから、理解できなかったのだ。
 それは、自分の内側にあり、どんなに馬鹿にしても唾しても、信じなくても怒ったりしない。そういった『自分の愚かさや根源的な喜び』に気づかせてくれる、自らを写し出す鏡のようなものかも知れない。神の愛は尽きないし、仏の慈悲は永遠なのだ。
 本物の宗教は人間の自我や欲望を否定しないし、それゆえの苦悶もすべて受けとめてくれる。あるがままの自分を見つけ出し、新たな喜びの導きとなるのだ。
 そう思ったら、体からハラハラと、ハラハラと何かが落ちた、涙のようなもので満たされた。僕には未知の喜びがあると気づいたのだった。

 『欲を捨てなさいと言い、無になる欲を持つ』禅問答?
 禅とか瞑想には昔から興味があって、試してみた。しかしやっても、宙に浮くこともなければ、テレポーテーション(瞬間移動)もできなかった。まして『無』になろうたって、次から次に考えが浮かんで、瞑想をしていない時の方が『無』に近かった。こりやーこの世界、何もないかな〜?と思っていたら違った。前回、ファザー(テムのお師匠さん)に会った時、瞑想してたら、不思議な経験をした。だから、人間のしていることは某(なにがし)か意味があるのだ。その時ドラッグなんか飲まされてないよ。

 さて、禅とか瞑想は、三つのタイプに分けられると考える。ともに自分の内面に目を向けるもの。一つは『禅』と呼ばれるもの。二つ目は瞑想。三つ目はイメージ・トレーニング。
「禅」はひたすら正座して無心の境地に入る。心を安定・統一させることにより何かを得ようとする。天台宗や真言宗には、座ったまま死んで仏になる『即身成仏』なる行もある。一種の確信的自殺だ。昔、本当にミイラになった人がいるんだから、凄いというか何と言うか。
 よくよく考えてみるとおもしろい。無になろうとして必死に食欲や性欲、思考さえも停止しようとする、これってもの凄い欲望ではないのだろうか?死ぬまでがんばるのは究極の欲求だと思うけど。『欲を捨てなさいと言い、無になる欲を持つ』禅問答かな?

 二つ目。『瞑想』 はさまざまな目的を持って、静かに考えること。現実の壁を破ったり、考えをより深める。仏教では「内観」とも言えるかも知れない。目的はさまざま、人類未知の力を得ようとしたり、ただ落ち着くのもある。
 僕が好きなのは、ご飯の前に『いただきます』と『ごちそうさま』。これも軽い瞑想なのかも知れない。これは唾液酵素を出して消化を助ける効果もある。ありがたくいただいて腹八分で満足する、そんなことを教えているのかも知れない。
 食前食後の挨拶は日本にしかない習慣で、世界に広めたい。いかに日本人が瞑想と言うか、内側を見つめる文化を持っていたか分かる。マヌーにも教えて毎食毎にしていた。
 瞑想は、形もさまざまで座ってするだけではない、歩いてしてもおもしろい。ただ瞑想に集中しすぎて、やたらにウルトラ光線を出したりするのは、危ないので止めてほしい(ウルトラ・ビームとも言う)。

 心と体がバラバラになった状態
 人類はルールを作って文明を築いてきた。しだいにより強固な社会制度となり、寝たい時に寝ることもできなくなった。長いこと制度に体を合わせ続けてきた結果、心と体がバラバラになってしまった。
 ホームレスや病人さえ、寝たい時に寝むれない。患者の病気が重くなればなるほど、そっとして寝かせてくれないのは皮肉だ。ご飯が食べられなくなれば、寝ていても24時間点滴を打たれる。
 眠たくても寝られない、お腹が空いてないのに時間で食べたり食べられなかったり、トイレを我慢したり。体の信号を無視し続けたために、体の信号を脳がちゃんと受けとれない。無理をかけても気づかない、病気の信号が届かなくなってしまった。こういうのを心と体がバラバラになった状態だと思う。

 振り返ってみれば、僕も今まで自分の体のことを真剣に考えたことはなかった。今まで『自分を大切にする』とは、社会との関係の中で考えていた。自分と仕事とか、自分と愛する人との関係などにおいて。つまり自己が肥大し、外側に広がり、存在が体から離れた。自己の存在は体の外に押しやられ、他人のようになってしまった。
 まじめな人ほど、そうなるような気がする。『自分を大切にする』とは、学校で先生が言うような『将来の自分のことを考えて、勉強する』といったことではないのだ。ずいぶんと体がかわいそうだった。
 別なことを考えてみよう。若者達が携帯電話を手放せなくなり、その関係の中にだけ存在しているかのように生きている。携帯ばかり気にしている、すると体が困る。今の時代、体の臓器にも携帯を持たせなくてはいけないのかもしれない。

 僕の瞑想は、体との一体感を取り戻すためにする。『肝臓さん、どこか痛くはないですか?』『膵臓さん、膵液はちゃんと出ていますか?』と。体に謝罪しつつ優しく、他人と接するように瞑想するのだ。
 つまり、心と同じように『体の組織や臓器を大切にする』、それが自分を大切にすることだったのだ。これって瞑想の説明になってないな〜。ま〜忙しい現代、バランスを取ったり、落ち着きを取り戻すに大変よろしい。やってみよう、別に寝ながらでもいいんだから。

 最後の『イメージ・トレーニング』は、一つのことだけに集中して物事を考える。自己暗示・自己催眠とか自己啓発も含まれる。スポーツ選手がするイメージ・トレーニングは、今では誰でもする。効果が確実にある。イメージ療法は最近特に盛んで、あらゆる病気の治療に広く行なわれるようになった。日本以外でね。
 特定の宗教には関わりがないから誰でもがしやすいし、効果が認められてきたからだ。これもいろいろな方法があって、『きれいなお花畑を想像する』とか、『一番愛する人といる想像をする』、『光に包まれる』とか。

 それぞれの国の文化が反映していておもしろい。アメリカでは『免疫細胞がガン細胞を攻撃しているところを想像する』というのもあった。アメリカ軍がアフガニスタンを爆撃しているように想像するのだろうか。
 先日もアメリカの友人から ガンに勝ったのか?」と、手紙が来た。勝った負けたではない気がするんだけど・・。もっともこういった分野では、アメリカが先進国だ。ガンを通して、人間の本質を捕えたすばらしい本もある、結果の医学的な統計もある。抗ガン剤についても先進国だけどね。

 喜びや悲しみ、自分の弱い所がなくなったら僕でなくなる
 日本は治療と言うと医者のすること、西洋医療のことしか浮かばない。たぶん、医療関係者に瞑想は良いと言っても『あ、そう』と答えるだけだろう。だけど、英語でイメージ・トレーニングと言えば『うちは未だそこまでの余裕が・・』と答えるんじゃないのかな〜?
 少し昔は違った。夏江さんの弟が喉に飴が詰まった時、『おがみやさん』を呼んだそうだ。腰が曲がったばあさんが片手に数珠を持って、飛ぶように走ってきた。凄い形相、異常に必死に拝んだ。「治った」と言ったとたん、飴が喉を通った。弟は「ウッ!」 と言って、急に泣きだしたそうだ。夏江さんはそれを見て『やまんば』だと思って、とっても恐かったそうだ。
 その『やまんば』のエプロンは真っ黒に汚れ、パンツを履いてなかった。それを聞いた父が激怒して、「飴が溶けただけだ、どうして病院に行かなかったのか!」と言ったそうだ。僕の母もどこか痛いと『はっけみ』に行った。それで、案外治っているかもよ。さて『はっけみ』とは何ぞや、おもしろいぞ〜。それだけで本が書ける。

 マヌーに、以上、全部ではないけどおおよそ話した。どっと疲れた。彼は分かったのか分からないのか、うなずきながら聞いていた。おかげで自分の考えが整理出来た。
 喜びや悲しみだけでなく、自分のダメな所、弱い所がなくなったら僕でなくなる、人間でなくなる。そのための苦しみなら、死ぬ瞬間まで何とか耐えられそうだ。音楽や旅、楽しい友人との語らいがいつまでも続けられるように祈った。

6 日

 朝食を取りながら、今後の予定を話し合った。僕は南に、マヌーは北の山岳民族の村に行きたいと言う。今日からは別行動、明日でマヌーともお別れだ。お互いに住所を確認して、再会を誓いあった。でも彼は体調がいまいち優れない。頭痛を治すことを薦めた、「とにかく、午前中に病院に行くんだよ」と。

ワット・プラタートのお寺へ 
僕は今日、山に行って、明日ピサヌロークに出発することにした。チェンマイの西に、標高1080mのドイ・ステープという眺めのいい山がある。山頂にはワット・プラタートというチェンマイで一番有名なお寺が建っていて、夜になるとゲストハウスからキラキラと光が見えていた。マヌーは、以前登ったことがある。夜の山頂からの眺めは最高と聞いた。だけど日中、山を歩きたいので、朝から登ることにした。
 山に行くのは、車をチャーターするか、ミニバスに乗る。車をチャーターすると高いので、ミニバスに決めた。ミニバスに乗るのは少し難しい。おおよその出発地はあるものの、ルートやバス停がない。やたらに止めて、自分で交渉する。
 北門に行くと、真赤なミニバスが何台も止まっていた。1台が山に行くと言う。一人、35バーツ。4人集まったけど、ドライバーは客がもう一人来るまで出発しないと言う。20分待った、誰も来る様子がない。そこでドライバーが言った、「一人、40バーツ出したら出発する」。みんな仕方なく同意して出発した。
 山に入ると、道路はうねうねと曲がって、剥き出しの荷台にはバスの排気ガスが直に入ってくる。タオルで鼻を覆って息していたけど、気持ちが悪くなった。その後も、半日気持ちが悪かった。

 寺の山門に着くと、たくさんの大型バスと大勢の観光客であふれていた。少数民族の衣装を着た物売りも、ずらりと並んでいる。静かな山と想像したら、何と立派な観光地だった。たまにはこういう所に来るのも良い。

 

                                 

 参道は木々に覆われ、その下にいくつもの売店。龍のデザインの手すりに飾られた長〜い階段を登ると、本堂があった。本堂はほぼ山頂だ。建物がいくつかある。建物の壁は見事に装飾され、いくつもの仏像が並んでいる。それぞれの仏像の前には、寄付を呼びかける英語の看板がある。中庭の中央には、金キラの高さ22mの仏塔が燦然と輝いてまぶしい。
 テラスに出ると快晴の空の下、見事に緑が広がるチェンマイ市が一望できた。しばらく歩き回って、満足!それでは降りようかと思ったら、ミニバスで一緒だったお坊さんに声をかけられた。
 お坊さんはチェンライの近くから、一人のお弟子さんを連れて観光に来ていた。お坊さんのお寺は、タイで一番大きなビルマ仏教のお寺だそうだ。
 ご一緒しませんかと言われ、これもご縁と同行することにした。言葉があまり通じなくて困ったけど、お坊さんにタイの仏教について直接聞けて、貴重な体験だった。

 タイ仏教の僧侶と
 3人でお寺を下りると、動物園に行った。彼らはチェンマイに観光に来たのだ。タイでは、お坊さんはいろんな特権がある。施設、動物園などはタダ。それだけ尊敬されている。とうことは、周りの目も厳しい。
 最近、タイの首相のお師匠さんである高僧は、ずいぶん昔に書いたラブレターが見つかったとされ失脚、すべてを失ったそうだ。女性に関する戒律はとても厳しい。結婚できないということは子供がいない。ビルマ寺のお坊さんも、家族はお母さんだけだと寂しそうに言っていた。しかし厳しい面だけではなさそうだ。
 バンコックの電気街を歩いていると、お坊さんが責色の袈裟を着て、ラジコンやゲーム機を熱心に見ていたりする。彼もコーラを飲んだり煙草も吸った。彼が何か数字をブツブツ言っているので「何の数字」、と聞くと宝くじのナンバー。4334が当たるそうだ。バクチはしていいの?早速彼の修行の成果を試しに買ってみようかと思ったけど、チャンスがなかった。
 僕がいろいろな国に行ったことを話すと、「私も日本やいろいろな国に行ってみたいけど、お金がない」と。日本のお坊さんなら、たとえそうでも「お金がない」とは言わないだろ〜な〜、と素直な言葉に感心してしまった。尊敬されているのに飾りがない、修行しているのに偉くなってない(これは良い意味です)。これはある種、凄いことではないのだろうか。
 僕だけ入場料を払って、動物園に入った。広〜い!グルッと東側を廻って南に出た。僕はお金を払ったのに、動物は1匹も見なかった。それからう〜んと歩いて、彼の知り合いのお寺に寄った。
 帰りはトックトックでチェンマイ大学のそばを通って、ゲストハウス近くで降ろしてもらった。感謝してお別れをすると、ぜひ彼のお寺に来るよう住所を渡された。行く先々で、いろいろな人に会い、お世話になってしまう、感謝!

ゲストハウスに着くと、汗でベトベトになっていた。日中はとても暑い。シャワーを浴びてマヌーの部屋をノックすると返事がなかった。お昼寝をして、4時頃、夕食を食べにマーケットに出かけた。
 半年前にバンコックのナイト・マーケットで買った『ユニコーン』のサンダルが剥がれ、ペカペカになってきた。ただユニコーンと書いてあるだけなんだけど、僕はこのユニコーンのサンダルを捨てられなかった。ユニコーンは伝説の一角獣。純粋な心を持つ子供だけが見ることができる、夢を叶えてくれる幻の生き物だ。
 僕はまだ助かった訳ではない。ガン細胞は一度大きくなると510年生き続け、転移・再発する。大腸ガンの場合は5年間生存率が下がる。このサンダルを捨てるのは、夢を捨てるような気がした。でも考えてみると「不可能かな?と思ったタイに」もう1回帰って来れた。これでもう十分。そう思えてきて、新しいのを買った。

 食事をしてゲストハウスに帰ると、何とマヌーもサンダルを買って帰ってきていた。「え!マヌーも買ったの」何故か気が合ってしまう。彼は市場でなく、閉店間近のデパートで一番高いサンダルを買ったのだった。確かに皮でしっかりしている、すごいじゃん!。僕の新しいのはナイキだ!(本物かどうか?)と、お互いに豪華なサンダルで自慢しあった。
 明日からはお互いに一人、別れるのは離婚するような感じがする。少し寂しかった。旅は『会っては別れ、逢っては別れ』、短かな一生に似ている。僕は朝早いので「お休みなさい」と、「元気でね」を同時に言ってベッドに入った。

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