13 7日 ピサヌロークへ

 朝、おんどりの声がうるさくて、4時に目が覚めてしまった。ベッドで横になって考えた。バスで行こうと思っていたけど、電車に乗ってみるか。ピサヌロークのバス停は町外れにあるけど、列車は町の真中を通る。本数が少ないけど、まだ電車には乗ってない。
 7時半にホテルを出て、町で乗り合いバスを止めた。「駅に行く?」「OK」「いくらで?」「30バーツ」「OK、ではよろしく」、と助手席に荷物を抱えて乗り込んだ。
 「え!まずい」。このミニバスは駅とは反対方向に進んで行くのだ。町でお客を拾いながら、お客さんの下りたい所を回っていくので、時間がかかることもある。ミニバスは制服を着た中学生や子供たちでいっぱいになりながら、30分ほどで駅に着いた。思ったより時間はかからなかった。
 駅近くのレストランで、朝食を取った。僕にとって理想的な椎葺のお粥だった。列車のチケットはすぐ買えた。タイの人はバスが主な交通手段で、あまり鉄道は使わない。駅の周辺にも人が少ない。今日の行き先、ピサヌロークはバンコックとの中間にある。約6時間かかる。1日中、乗物に乗るのは疲れるので、真ん中で休むのがちょうどよい。

 タイ国鉄ご自慢の鉄道でピサヌロークへ
 このバンコック行き特急列車はタイ国鉄ご自慢のもの。少し運賃が高いけど、ぜひともお試しを。
 列車は定刻通り、座席の半分の乗客を乗せて出発した。や〜!驚きました。すべて飛行機のよう。乗務員の服装や物腰はスチュワーデスみたい。カートを押してドリンクや食事のサービスをしてくれる。でも、飛行機より座席がゆったりしているので、更に快適。止まる駅も少なく、振動もない。車窓からの眺めは飽きない。しばらくして、12時で食事が配られた。でも食事はちょっと残念でした。乗る前に食事付きと知っていたので、ベジタリアンをお願いしたけど駄目。半分ほどしか食べられないので、腹が減った。ガマン・ガマン、とギターを出して遊ぶことにする。
 どこでもギターを弾き出すと、人が集まってきたり、目でウィンクしてくれる。寂しがり屋の僕の必須アイテムだ。日本では無視されるけど、外国では反応が違う。日本人とその他の国の人ではこんなにも違うのかと、いつも思う。今日は、僕の座席の周りは人がいないので、話しかけられることもなかった。

 乗客はタイの人がほとんど、外国人がチラホラ。僕の二つ後ろには日本人の教授とその学生らしき人が乗っていた。時折フィールドワークの話が聞こえる。どんな時でも日本人は、『先生は先生、学生は学生』関係が固まったままだ。違う立場になると新しい関係が出来て、新しい自分や相手が発見できる。
 そうすれば、長い間一緒にいても、常に新鮮でいられる。人生と共に過ごすパートナーと仲良く付き合うコツは、「常に新しいもの」を相手に発見すること。『その時々でいかに新しい関係を作るか』だと思う。
 やがて列車はピサヌロークに近づいた。アナウンスはまったくない。荷物を持ってドアの近くに移動した。するとさっきの先生らしき人が僕にタイ語で質問してきた。たぶん「次はピサヌロークですか?」と、聞いたらしい。彼らもピサヌロークで降りるらしかった。
 日本語で「ん・・、僕も日本人ですよ」と言うと、黙ってしまった。しばらく動かない。相当ショックのようだった。日本人だと分かってそんなにびっくりするか〜?思い込みが強くて、どうしたらいいのか萎えてしまったのだ。その後も、僕が話しかけたのに、彼は一言もしゃべらなかった。何故?失礼よね。

 ピサヌロークはスコータイ市の玄関口
 列車は236分、時間通りに到着した。線路を横断して駅前ロータリーに出ると、来て良かったと思った。観光案内や人の話では、ピサヌロークはスコータイ市の玄関口というぐらいで、わざわざ来る所ではないと聞いていた。でも、何かしら不思議な落ち着きを感じた。この町はバンコックから北へ370q、チェンマイから南390q、交通の要所だ。スコータイ時代の首都で、アユタヤ王朝時代も重要な都市だった。古い寺院もあるけど、周りに有名な観光地があるので、観光客は通り過ぎていくようだ。
 さて、ホテルを探さなくては。町の中心街は約1q四方。ざっと歩いて、下町に見当を付けて決めた。トイレ・シャワー共同で約400円。部屋は壁で仕切ってあるだけで、体育館のように天井が高くて共有している。変わった作りだ。でもすべてがきれいで満足だった。荷物を広げて薬を飲むと、早速散策にと出かけた。
 ピサヌロークはナーン川を中心に広がっている。東が旧市街、西が新市街と大学がある。僕は川の土手を散歩するのが好き、早速ナーン川に出かけてみた。川の色はどろどろの茶色。

 

            

 川幅は100m以上、立派な川だ。気温が高いけど、水面からの風が気持ち良い。少し歩くと、水上レストランが浮かんでいるのが見えた。遠くには水上生活者のボートが何隻か並んでいる。
 彼らは昔から川の上で住んでいるらしい、今では観光の場所となってしまった。確かに、夕焼けの空と川面に浮かぶハウスボートは旅情をそそる。思い出のワンシーンってところかな。
 川の土手を引き返してくると、公園の芝生の上で足裏マッサージをしていた。1時間100バーツと安い。ビーチパラソルに背折れのパイプ椅子、横には蚊取り線香がたかれている。お腹が空いていたけど、お願いした。

 すべてブッダに任せていますから
 おばさんがニコニコしながら、クリームをぬって始まった。でも、どうも力が入っていない。「痛くしてね」と言うのだけど、なかなか分かってくれない、ニコニコしているだけ。すると、横でしてもらっていたおばさんがタイ語で通訳してくれた。それから横に座っているおばさんと話が始まった。
 彼女は、ポツリポツリと思い出すように英語で話しかけてきた。どうして英語を話すのかなと思っていると、中学で英語の教師をしているのだった。近くに住んでいて、ジョギング中マッサージを受けているのだった。ちょうど良い、お腹が空いているので菜食のレストランを探していると話すと、案内してくれると言う。これも御縁、甘えることにした。
 近くに止めていたのは、ピカピカの乗用車。結局、あちこち案内してもらった。そして川を渡って教育大学の近く、ファースト・フードのレストランに着いた。菜食は珍しいのか、僕の注文が変なのか、オーダーするのに10分もかかった。でも出てきたのはサラダにジュースだけだけどね。
 彼女にタイ語の「菜食です、と、油を少なめに」を教えてもらった。「マンサウィラ、ナンマンノイノイ」と言う。でもこれを言ってレストランで頼むと、ほとんど食事ができない。嫌な顔をされ、できないと言われる。どうもタイの「菜食」は、油どころか玉葱やショウガ・ニンニクも食べないと言うことらしかった。
 所変われば『菜食』の中身が違う。それで良いのだ。日本人の菜食者は魚や貝は食べる人がいるし、欧米人の菜食者は牛乳やチーズを食べたりする。その人たちが昔から食べていたものなら、良い気がする。食習慣の違う他国で書かれた翻訳本を読んで、そのまま日本で実行するのは変だ。

 タイの人は感情をあまり表現しないのかと思ったら、彼女は違った。話は進んで教育問題や彼女の子供の問題になると、「オ〜!・・・」と、車のハンドルに顔を伏せて嘆いた。オー、あぶない、問題は日本で起きていることと大差なかった。学生が勉強しない、携帯で高額のお金を使ってしまう、マンガばっか読んでる。それも日本のアニメやマンガ。僕に嘆かれても困るんだけど〜。僕の数年前の自分を見ている気がしないでもない。
 「自分で全てを引き受けないこと、自分のできることを見極めること」。結局友達に言われたことをそのまま言っていた。ぜひとも彼女の学校まで来て、授業で話してもらいたいと話が進んだ。それもおもしろい、「すべてブッダに任せていますから」と言うと、熱心な仏教徒の彼女はいたく感心した。でも学校は、ここから40q程離れている。たぶん、明後日ぐらいに出発すると話すと、「チョット無理みたいですね」と、あきらめた。

 食事の後、ホテルまで送ってもらった。ギターを聞きたいとおっしゃるので、フロントで何曲か聞いてもらってお別れした。感激してもらったようだった。結局、僕は名前も聞かなかった。
 夕食が足らなかったので、またナイトマーケットに食事に出かけた。野菜炒めとライスを食べた。帰りに犬に追いかけられた。狂犬病の犬もいると聞いたので、近寄らないようにしていたけど、追ってくるので逃げるしかない。タイは放し飼いの犬が多いのだけど、この町には特に多い。さっきの彼女の家でも、犬を6匹も飼ってると言っていた。たいがいおとなしいのだが、たまに吠えて追いかけてくる。棒を持って歩くわけには行かないので、困ったもんだ。猫はそんなことしないので偉い。

8日 ピサヌロークの2日目

 暑くもなく寒くもなく、快適に目が覚めた。この街好き、気に入った、大きさがちょうど良い。しかし、ゲストハウスが気に入らない。欧米人だけ、広いばかりで味気がない。昨日のぞいたタイの人が使っているアジア・ホテルに変わろうかな。チェックアウトの時間を聞いて、朝食・朝の散歩とアジア・ホテルに予約に行った。
 アジア・ホテルは2階。階段のすぐとなりが空いていた。陽射しの入らない、あまりきれいでない部屋。扇風機のスイッチはぐらぐら、壁から浮いている。でも床はピカピカに磨かれていた。 昼にチェックインすることを伝えて、ピサヌロークで一番有名なお寺に散歩に出かけた。
 お寺の名前はワット・プラ・シー・ラタナー・マハタート。ずいぶんと長い名前。14世紀、アユタヤ時代の後期に建てられたそうだ。境内が広くて観光バスもやってくる。ズラッとみやげ屋さんがいっぱい、長野の善光寺を思い出させる風景。

 

           

 長野の人は親しみを込めて『善光寺さん』と呼ぶそうだけど、ここもまたそんな感じだ。朝の散歩がてらに、近くの人もブラブラやってくる。本堂の御本尊さんはチンナラート仏と言って、4m近い。大きくて、金キラでまぶしくこちらを見下ろしている。タイで最も美しい仏像らしい。美型と言っても、僕が思うにはタイ人の好みだな、これは。本堂の中、仏像の隣でも、屋台がずらっと並んで物を売っているのがおもしろい。

 タイのおみくじ
 仏像の前で、大勢の人が熱心に竹の筒を振ってお参りをしている。何かな?と思って見ていると、やがて1本の棒が飛び出す。その棒に番号がふってあって、隣のプースで紙をもらっている。御みくじだ。さっそく僕もやってみる。振ってもなかなか出てこない、エィヤーーとやるとたくさん棒が出てきてしまう。ようやく1本だして札を見るとタイ語で読めない。隣のおばさんに通訳を頼んだ。でもそのおばさん、御みくじの内容が通訳できない。また別のおばさんに頼んだ。そうやって何人かに聞いて、内容が分かった。
 『最凶』だ。「もう1回しなさい」、ということでもう1回振った。次はまあまあ良いらしい。お寺に寄付しなさい、そうすれば「吉」。でも、今はお金の余裕がない。病気が治ったらたくさん寄付することにする。それまでこの御みくじは持っていることにした。

 午後の散歩
 散歩から帰って、ホテルを代わった。ホテルを代わるだけで、未来・人生がガラリと変わっていく気がするのがおもしろい。実際に変わるのだ。日頃気がつかないけど、日本にいても毎日のどんな一歩でもすべてが変わっていく。旅はそれに気づかされる。
 休憩、昼食、そして午後の散歩。今度は南にある、民族博物館に出かけた。町並を眺めながら行くと、ガン・ショップが2軒並んであった。店はオープンでドアもなく自由に入っていける。どこの国でも、銃が置いてある店は、こんなにオープンではないと思うんだけど、そこがタイらしいところ。
 中に入って、確認した。「これ、本物の銃なの」、「イエス」。「誰でも買えるの?」「許可がいります」。ケースに入っているいくつかを出し、僕に持たせてくれた。重たい!弾丸もその辺にあって危ない。そこへ2人連れの白人の女性がやってきた。
 「これ、本物?」。僕と同じような質問している。「タイは安全な国なのにどうして銃を買うの?」。確かに必要ない。「護身用です」と答えていた。確かに、泥棒にとつても警官から身を守る『護身用』に違いない。
 軍隊も同じ理由だ。ケバケバしい彼女達はオランダから来た。ニコニコしてお店の人に聞いた。「銃を持って写真を撮っても良い?」。僕が写真を撮ってあげた。その格好は、ボンドガールだった。

 2q以上歩いた。でもなかなか着かない。舗装もなくなって埃っぽい。普通の民家の塀かなと思って玄関を覗くと、目的の博物館だった。この博物館は一人の学者が集めたコレクションを展示している博物館。入場は無料だ。集めた物はかなり雑多。古い民芸品から大戦の記録、大火事の記録写真と何でもあり。入館者はあまりいない。静かでお庭にはきれいな花が咲いて、落ち着ける場所だった。
 帰りは道に迷った。でも磁石を持っているので、大きくは間違わない。TAT(タイ政府観光局)発行の地図が簡略化してあり、行きすぎた。それに合わせただろう日本語のガイドブックは、道路が違っていた。帰り道の途中にあるから、TATに寄ってみることにした。
 意外や、ここのオフィスは大きかった。日本語の案内も置いてあるので親切だ。ところが、外国人を相手にすることも多かろうに、英語があまり通じない。
 僕は、オートバイをレンタルしたかった。でも国際免許が先月切れてしまっていたので、それでも良いのか確認したかった。返事は何と「OK」。「でも免許がないんだよ」、「あなたは外国人だからOK」。ん・・?分かったような、分からないような。ともかく政府の機関に承認されたので、明日はオートバイに乗ろう。ワーイ!、ツーリングだ!

 マヌーとの再会
 ホテルに帰ると、携帯電話に着信が3回あった。電話がある時は持ち歩いていない。これはジンクス。誰からかな〜?テムに電話すると、彼ではなかった。明後日バンコックに行くことを連絡した。まさか?タイの『出会い系かな?』、もしそうだったら何て言えばいいんだろう、とあれこれ想像した。ほっておくしかない。1時間ほどしてまた電話がかかってきた。
 「え?マヌーなの。今どこにいるの?」。電話の相手は、一昨日別れたばかりのマヌーだった。何とピサヌロークの駅にいると言う。急いで着替えてホテルを出ようとすると、彼はすでにフロントにいた。
 「やー!、やー!」 と抱きあう。久しぶりに長い顔を見た気がした。彼は山岳地帯には行かず、今日の朝僕を追ってきた。「どうしてここが分かったの?」「駅からホテルの看板が見えた」。思わぬ再会に、びっくりした。
 彼の頭痛は、サンダルが良かったのか治ったようだった。今から駅に預けていた荷物をゲストハウスに置きに行く。トックトックを拾って彼のゲストハウスに行ってみた。外人専用のような、広いバーがあるゲストハウスだった。彼の部屋は変わっていた。外に仕切りがあってシャワー室があり、部屋の中に便座がデーンと置いてあった。

『空飛ぶ野菜炒め』
荷物を置くと、さて夕食だーと、ナイト・バザールに出かけた。実はこのナイト・バザールには、他所ではない名物があった。それは『空飛ぶ野菜炒め』。1軒の屋台がその名のパフォーマンスをやっていた。看板に日本語でも書いてある。
 野菜炒めを作ると、コックが空高く放り投げ、それをウェイターが受け取るちょっとしたショーだ。コックは後ろ向きにおもいっきり投げ、受け手は少し離れたバスの屋根の上でキャッチする。約10mは飛ばす。うまくできると観衆から一斉に拍手が起きる。
 野菜炒めを注文した人も挑戦できる。見ていると一人の観光客が挑戦した。みんなに拍手されながら、エプロンと葉っぱの冠を付けてバスの屋根に乗った。うまくキャッチ出来るか?野菜は空を飛ぶ、なんとか半分だけ捕えた。観客が拍手。
 本人が一番楽しそうだった。でも、あの冷えて少なくなった野菜炒めはおいしそうではない。騒ぎが終わって、周りをよく見るとゴミだらけ。屋台の屋根の上には、受け損なった野菜炒めが雪のように積もっていた。雪のようにきれいでないけど。

 マヌーが「久しぶりだから、今日はおいしいものを食べよう」と提案。同意した。ではと、新ナイト・バザールに行ってみることにした。ナーン川を渡って、新ナイト・バザールに行った。しかし、よく見ると、アルコールの『飲み屋街』のようだった。しかもどこも広い駐車場がある。車で来るということは、ニユー・リッチの盛り場だった。
 僕らの来る所ではない。取って返して街道沿いの1軒のレストランに入った。まず軒先で焼いていた1匹の大きな魚を注文、長さ40p以上ある。シーフード入り野菜炒め2品、飲物とライス。久々の豪華な食事だった。口に香菜がつめられ塩で焼かれた魚はスズキに似て、あっさりした味。骨も少なく、おいしかった。黙々と食べたけど、二人で食べ切れなかった。一人約500円、安かった。満足!
 マヌーは数日後、バンコックからインドに行く。すでにチケットを買って持っているのだけど、先日確認したところ、席がないと言われて焦っていた。明日バンコックの航空会社に直接行って交渉すると言う。明日朝出発すると言うので、駅に見送りに行くことを約束した。彼が運悪く土曜日の便に乗れないと、バンコックでまた会えるかも知れない。それもまた楽しい。
 彼のゲストハウスは町から遠い。歩き疲れたのでトックトックを呼んだ。「お休み、ブッダの御加護を!」、彼は手を振って街角に消えていった。

9 日

 ホテルのフロントにいると、マヌーが8時にやって来た。駅まで見送りに行く。彼はいつも時間の余裕を持って行動する、その余裕が僕と同じ感覚なので、一緒にいても気にならなかったのだ。
時間ぎりぎりに行動する人とは一緒には行動できない。850分、列車は定刻通り到着。大きなハグ(抱きしめ)。やがて、マヌーを乗せてバンコックに去っていった。

 爽快な?バイク・ツーリングで、ワンノックエン滝へ
 今日は、バイクを借りてドライブだ!。ミネラル・ウォーターとカメラ、パスポート・携帯を持ってバイク屋に行った。そのバイク屋は気に入らなかった。けれど探しても他になかった。店に着くと、大きなおばさんが石のようにデーンと、入り口に向かって座っていた。
 まず契約書を書く、パスポートを預けなくてはならない。保険込みで1日、5時までで700円。保険はどんな保険なのか、いくら下りるのか分からない。そして、後で戻ってくる保証金を払った。借りたのは、赤いホンダの100tのカブ。まだ新しそうだ。タイヤとブレーキを確認して出発した。走り出してすぐ、悪い予感は的中。借りる時、1gのガソリンが入っているはずなのに、スタンドに着く前になくなってしまった。
 でもすぐ近くにスタンドがあって良かった。ガソリン・メーターが壊れていたのだ。それからスピード・メーターが動かない、制限スピードを守ろうにも、スピードが分からない。距離計も壊れていて、動かない。
これには困った。距離が分からないと目的地までの見当がつかない。こうなると、他も壊れてるかなと、心配になったけど、エンジンは快調に回った。ま〜、何とかなるでしょう、とアクセルを吹かした。

 目的地は、ワンノックエン滝。ピサヌロークの東40qの所にあり、階段状の滝がとても美しいと、案内に書いてあった。日本と同じ左側通行で走りやすい。大都会と違い、信号も車も少ないので快適だ。時々人や犬が道路を横切る以外問題なく、たぶん時速50qぐらいで走る。空は快晴、久しぶりの運転に心が踊った。
 1時間ほど走ると低い山が見えてきた。道路は大きく曲がって、美しい森の中をしばらく走ると、滝の入り口の看板を見つけた。ああー、良かった。看板がないと通り過ぎてしまうところだった。
 滝は落差10mほど、水量は多いけど日本の落差の大きい滝を見慣れている僕には何てことはなかった。だけどタイの人の滝に対する思いや、遊び方を見ていると、それなりに楽しい。滝の下の急流では大学生達が大きなタイヤに乗って、急流下りを楽しんでいた。

              

 水に手をいれると、かなり冷たい。彼らもピサヌロークから来ていた。ランチを木陰に広げ、ギターを弾いて楽しそう。僕も食べものを薦められたけど、お茶だけいただいた。ちなみに、僕は日本で、若者に何か薦められたことは一度もない。彼らは携帯を持つでもなく、屈託がなかった。

 滝でキャベツだけの野菜炒めとライスの朝食を取って、ピサヌロークに帰ってきた。(キャベツしかなかったようだ)。次は飛行場に行った。飛行場は、市街からすぐ近くにあるので、飛行機好きの僕としてはぜひ行ってみたかった。珍しい飛行機、プロペラ機が見られそうだ。

 

            

 飛行場で軍のジープに追われた楽しい?ツーリング
フェンスに固まれた滑走路を廻って、離陸機が真上に見える芝生の上に座った。天気も良いし、カメラを構えてのんびり最高の気分。ここは滑走路が短いので、大きい飛行機は降りない。軍用機でも来ないかな〜と、管制塔の反対側を見ると、軍の施設らしき建物があった。
 テロ事件の後だ、ひょっとすると危ないかな?と思って来た道を見ると軍のジープがやってくる。まさか僕の所で止まらないよな?と思ったら、本当にすぐ後ろに止まった。
 今僕は運転免許を持ってない、パスポートも持っていない。どう見ても不審者だ。どうしよう、オオー、軍隊に逮捕される。こういうときは笑顔だ。笑顔であせった。軍人さんが車から降りてくる前に逃げなくては。ニコニコして、急いでオートバイに乗って、エンジンをかけて走り出した。怪しまれてはいけない、絶対に後ろを見ない。バックミラーでちょっとずつ後ろを見る。
 どうやら追って来ないようだった。危機一髪だった。ほっとして公園のような所でバイクを止めて、また飛行機を見ることにした。カメラを出そうとして、何かの気配を感じた。後ろを振り向くと、なんと、さっきの軍のジープ。オートバイの後ろに止めた。追いかけてきたのだ、またまた逮捕されそう。血の気がさーつと引いた。僕は両手を広げ「撃たないでくれ、ウサマ・ビンラディンとは関係ない」と、そうタイ語で言いたかった。
 でもしゃべれない。あせっていると、MPらしき人が「あっちに行け」と指をさしている。良かった「銃を向けられ、おいで、おいで」ではなかった。早速バイクに乗り、さっき来た道を引き返した。
 この時はさすがに、笑顔を作ることが出来なかった。道路の両側をよく見ると、ここは軍の基地の中。兵舎や、飛行機・ヘリコプターがいくつか留めてある。さっき焦って、知らずに基地の中には入り込んでいたのだ。大変だー、と一気に飛行場から離れホテルに直行した。
 別段このことで反省するべきことはない。一つ学んだ、人間、本当に緊張すると、顔が引きつるのだった。笑顔は作れない。

 ホテルに着くと、受付の女の子が「何それ?」といった感じで僕のオートバイを見た。僕が借りたんじゃん。今、軍と追いかけっこしたんだぞー、とは言わなかった。
 あーよかった、と少し休憩。そして、郊外の大型ショッピング・センター『ビッグC』に行った。モールだ。2階に軽食のフーズが並んでいる。食事をした。まず、おまんじゅうらしき物があったので3種類注文する。すると。アヤヤヤ・・、フライパンの上で油でジュウジュウ揚げて、油だらけになって出てきた。僕は蒸しパンだと思ったのに・・。
 ここでは現金は使えない、あらかじめクーポンを買わなくてはいけない。そんなこと分かりません、と知らない振りしたけど、1軒ではOK、1軒ではダメだった。
 さてバイクを返しに行こうか、と駐車場を出ようとすると、警備員に止められた。チケットを出せと言う。何?それ?あ!そうか止める時に渡された券ね。あれは『駐車券』ではなくて、泥棒にバイクを取られないための『所有者確認券』だったのね。なくさなくて良かった。
 グルッと町を回ってバイクを返した。でもバイク屋のおばさん保証金を返さない。請求すると、ニヤツと笑って返した。忘れたふりをしたのだ。そんなこともあろうと、最初から直感で気に入らなかったのだ。でもツーリングは楽しかった、事故もなくて良かったのでした。

 

             

 『生き物を大切にする』と、願いが叶えられる
ナーン川は川縁に公園が広がり、多くの市民が散歩やジョギングに訪れる。この日夕方も訪れると、道路にあふれる人、約100人ほどがエアロビクスを楽しんでいた。タイの人も健康思考で、ジョギングの人も多く見る。・・ということは肉体労働の人が減っているということ。僕も軽く走った。
 階段があって、川に降りられる所で、お母さんと子供が何かしている。さてさて、何かな〜?と覗くと、魚と鰻を川に帰していた。どうしたんだろう、と思っていると後ろから声がかかった。「フー、フーでしょう」、先日の英語の先生だった。僕はもうバンコックに行ったはずなのに驚いていた。
 『生き物を大切にする』、『功徳を積む』と願いが叶えられる、そう信じて魚を市場で買って逃がしてあげたのだった。日本でもそんな習慣がある。でも川に帰した何匹かは息をしていなかった。そんな魚にお母さんは必死に、人工呼吸でもするようにゆすっていた。やがて魚はゆっくりゆっくり白いお腹を浮かべて、南シナ海に流れていった。

 先日のおばさんに、近くの観光を散歩がてらに誘われた。彼女に付いて、川の対岸に渡った。県のシンボルとなっている県柱を見た。シティー・ホールと環境保護局、そして高校の中に入ってナレースワン王の像を見た。像の横には、像と鶏の置物がいくつかあった。鶏は勝利のシンボルだそうだ。川の反対側には、彼女の家があった。白い塀がつづく立派な家だった。少し下ると、川縁にはカラフルな無数のテントが見える。「何かな?」と聞くと、夕暮れになると若いカップルが大勢訪れるそうだ。でも僕らは行かない。ナイト・バザールで彼女とお別れした。日本に着く頃、手紙を送るそうだ。待ってるからね、と言った。でも未だ着かない。でも電話が一度あった。びっくりした。
 夜食後、バス乗場に行った。明日バスでバンコックに行く。バスターミナルはホテルから歩いて1分。チケットを買う、だけどカウンターの従業員全員に聞いても、バスがバンコックのどこに着くのか分からない。15分間必死でタイ語でも聞いたのに、誰も理解してくれなかった。まあ、どこに着いてもバンコックはバンコック、何とかなる。
 コンビニで夜食を買ってホテルに帰った。いよいよ帰国の日が近づいてきた、早く帰りたい気もチラッとするのだった

inserted by FC2 system