14 10日 再びバンコックヘ

 朝起きてフロントヘ。お湯をもらってインスタント味噌汁を飲む。お湯はコルク栓のポットから、コーヒーカップの中に注いでもらう。おもしろい、でもいつもぬるい。
 のんびりチェックアウトして、バンコック行きの高速バスに乗った。バスは2階建て。僕は一番早くチケットを買ったから、2階の一番前。最高の眺め。隣の座席にお客はいない。このバスもやはり飛行機を意識してか、スチュワーデスみたいな人がサービスする。バス内食も出た。でも、ドーナッツにカラ揚げみたいなもの。ベジタリアンにはほとんど食べられない。飲物もコーラが出た。タイの乗物はいつでも、非常に快適だった。
 だげど、冷房の効きすぎ、テレビがすごくうるさい。音を小さくしてくれって、言おうと思ったんだけど、そのつど『もう終わる』と思い、結局言わなかった。

 久しぶりの大都会
 バスは市街を抜けると、広い道路に入り速度を上げた。道路の両側にはチークの並木、とても美しい。いくつかの町に停車しながら、2時頃無事バンコック北バスターミナルに到着した。外はピサヌロークより暑い。人もバスも多くて、久しぶりに大都会で戸惑う。今回はチャイナタウンに泊まることにして、市内バスを探した。ここは広い。ずいぶん歩いて、目的のバスに乗り込んだ。
 乗客が数人乗り込んだ頃、バスが動き出した。これからバンコックの中心街を通ってチャイナタウンの方角に向かう。しかし、バスはすぐ大渋滞に巻き込まれた。ここからがおもしろい。バスの運転手はギヤの入りが悪いのを修理し始め、助手はジュースを買いに外に出ていったり、煙草を吸ったりする。
 しばらくすると運転手、あまりの渋滞にしびれを切らしたのか、突然に大きな道路をターンして、進路を変えた。細い道を入って行く。勝手にコースを変えてもいいのかな?まー、それでも目的地に着けば良い。約15円だった。

 バスは2時間近くかかって、ようやくチャイナタウンに着いた。荷物を持って、さてどっちに行こうかな?と考えていると、携帯が鳴った。日頃携帯を持たない僕はびっくりして、荷物を放り出した。カバンから携帯を取るときれいな日本語。
 日本の浜子さんからだった。懐かしい声。どこまでもいつまでも気にかけてくれる優しさに、改めて感激した。僕がこうして元気なのも皆さんの優しさのおかげ、ガンによってようやく気づかされたのだ。
 ホテルを決めた、以前泊まったニュー・エンペラー・ホテル。フロントで聞くとシングルが空いていた、1500円。100パーツも高くなっている。一晩だけにしよう。キーを受け取ってエレベーターに向かう。フロントのマダムが、まだジーと見てる。どうしてマダムは僕の顔をよく見てるのかなー。何でか分らん。前回の時も色々ゆっくりとした英語で話しかけてきた・・?
 今日までラオスをグルッと回る長旅だった。部屋に入るとバタッとベッドに倒れ込んだ。久々、バスタブに浸かりたくなった。日本人はシャワーだけでは疲れが取れない。残念、バスルームに行くとバスタブが無かった。シャワーだけ、がっかり。体を洗うと、お腹が空いた。おいしい屋台を捜しに町に出た。
 チャイナタウンは相変わらずにぎやか。通りにはたくさんの屋台、人でごった返していた。30分ほど歩き回っても、おいしそうな菜食の店はない。タイ式のレストラン(惣菜が何種類か並んでいて、自分の好みのものを取って食べる店)に入った。カリカリに揚がった魚と野菜を脂で炒めて煮たものを食べた。まずまずの味。でも、どうしてこう油っこいのかしらと思うのでした。

 町を歩くと、すごい騒音の中で携帯で話している人が何人も。タイの携帯は騒音の中でも聞けるのかな?それとも人間の集中力がすごいのか。地方都市では街角で、テーブルを一つ出して「1分いくら」で携帯を貸す「携帯公衆電話」をよく見かけた。おもしろい商売だな、と思ってみていたけど、携帯が普及したバンコックでは成り立たない。
 通信・情報産業も一過性のもの、結局は中身の問題。現代社会は、技術や操作に追いまくられて何かを失っていく。現われるものには気がついても、失っていくものには気がつかないからやっかいだ。文字の文化もその一つ。複雑な言葉が消え、含まれている概念がどんどん細っていく。こうして文章を書いていても、わずか数ヶ月の命。誰も読まないのかも知れない。また、それはそれで良とする。
 旅は、バック一つで移動して行く。時間の大切さや、物のない気楽さを教えてくれる。

 11 久しぶりの『徐富弘診療所』
 今朝は、十時半にテムとウィークエンド・マーケットで待ち合わせ。半年ぶりにファザーに会いに行く。ウィークエンド・マーケットはバンコックの北にある。9時前にホテルを出て、10時前に着いた。

 

 マーケットの中を見て回る。ここはその名のとおり、土日だけ開かれるマーケット。その規模はバンコックで一番大きい。前回来た時には、大きすぎて半日で回れなかった。別に欲しいものはないので、待ち合わせに便利なように、時計塔の回りにいた。するとテムから携帯電話が鳴った。
 「すいません、今日ファザーの所に午後から行くことになってました。今からどうしましょうか?」。そ〜、簡単に「すいません」でも困るんだけど〜。ま〜分かるけどね。今から、テムは叔父さんと一緒に足裏に行くと言う、「関本さんも来ませんか」。仕方ない、今度は西へ。少し離れているけど、僕もマッサージをしに行く。

 高架式の鉄道、その名もBTS(スカイトレイン)に乗ってエッカマエに向かった。この電車、早くて混まないので便利だけど、寒くて運賃が少し高い。30分程でエッカマエに到着。『徐富弘診療所』に急いだ。
 いつものマッサージ師にお願いした。しばらくして彼が言った、「前より良くなっていますね」。わー!うれしい。「でも大腸と、肺はあまり良くない」、「えっ!な〜んだ。結局悪いの?転移かな〜」。でも、埃と排ガスで肺が汚れたからしゃあないかな〜。そう思うことにした。

足裏治療は、体だけでなく脳も刺激する
 僕がマッサージを始めてまもなく、テムと叔父さんがやって来た。叔父さん小柄で穏やか、テムに手を引かれるように入ってきた。テムの叔父さんは大学教授。アメリカで修士を取り、10年ほど住んでいたそうだ。しかし数年前、脳血栓で記憶障害になり、現在静養中。少し前のことを忘れてしまうそうなのだ。
 本来なら、英語で不自由なく会話ができるのだけど、英語だけでなくタイ語も不自由に見えた。そして歩くことも少し不自由だった。テムが足裏をすれば少しは良くなるだろうと、連れてきたのだった。足裏治療は、体だけでなく脳も刺激するので、効果が期待できた。なぜか、叔父さんはマッサージをあまり痛がらない。神経がうまくつながってないのだ。叔父さんは終始にこやかだった。
 マッサージ師は終わると、叔父さんに「良くなりますよ」と言っていた。叔父さんのような場合も、近代医療は治療の手立てが無いのだった。

 テムが最も信頼し尊敬するファザーの元へ
 治療院を出るとお昼過ぎ。3人でエッカマエの近くのデパートで食事をした。タイ式のファーストフードのお店。外に出ると今度は空港近くの、テムの知人の家に向かった。
 バスとタクシーを乗り継いで、立派な門がある大きな家の前に着いた。門を開けてもらうと中庭に通された。なぜここに来たのかよく分からないでいると、今度は奥さんの運転で、いよいよファザーの家に向かった。車はベンツ、奥さんは昔イギリスに留学をしていたそうだ。車はしばらく走って、ゲートをくぐって軍の官舎に入って行った。そして、いくつか並んだ中層アパートの駐車場に止まった。
 テムが最も信頼し尊敬するファザーは、なんと現役の空軍の中佐。何年か前に大いなる力(仏教)に目覚め、人々に役立つ活動を始めたそうだ。彼の回りには色々な人達が集まり、互いに自らの力を高めあったり、病気の人や相談ごとに力を貸していた。前回は自宅ではなく、別の集会所で3回ほど会って、治療をしてもらった。

 治療と言うのは少し違うかも知れない、『手当て』とか『気功』と言った方がいいのかも。でもファザーが他と違うのは、お金を受け取らない。『あくまでも人助け』そう聞いていたので、その時は手土産だけ持って行ったのだった。
 『手当て』とは、文字通り患部や体に手をかざして、何らかの力で病気を治すこと。日本でも古くから行われ、そのまま治療の意味でも使われているからおもしろい。しかし、今ではしっかり忘れ去られ、ほとんどの人がそんなことしても治るとは信じない。
 でも日本である時、知り合った保健婦さんに『手当て』の治療を勧められて驚いた。西洋医学を勉強した彼女が病院では治らず、ある治療院での『手当て』を受け持病が治ったそうだ。少し前なら、科学を少しかじった人なら即座に否定した『気』のようなものも、今では少しは認知されてきたのかも知れない。
 また、僕は何人かの知人・友人に、『気功治療院(そう呼んでいいのかしら)』のような所を紹介された。聞いたところ、1回の腰痛や頭痛・難病の治療(?)が3千円〜1万円。ある所では治療時間はたったの1分、痛みも何もない、ただ手を当てるだけ。非常に高い気がした。

 それでも治ると思って行く人がいるのだから、これは一種のブームかも知れない。というか、以前からあった民間療法のリメイク・復活かも知れない。でも僕は偏見があるのか、そういうもので高額なお金を取ることに納得がいかない。したがって、日本でそういった所には行った経験がない。ただそういった『気』のパワーはあると思う。毎週『太極拳』に行って、皆さんに気のパワーをもらっている。確かに気分が良くなる。

 怪しげな宗教団体や詐欺の団体がある
でも、中には『手かざし』とか『足裏診断』のように、怪しげな宗教団体や詐欺の団体がある。ほうっておくと病気がひどくなるとか、先祖が何とかと言って脅されたり、高額な金額を要求されたら、それは偽物と思っていい。
 僕が『フアザー』と呼ぶのは、テムが『お父さん』と呼ぶからで、みながそう呼んでいるからではない。ファザーは教祖みたいな人で、特別な人・特別に力があると信じられていた。テムによると、お仲間にも特別な人が何人かいて、『彼らは実は人間ではなく、○○仏の生まれ変わりだ』と言っていた。
 別に僕は驚かないよ。でも本当は驚いた、みな大丈夫なんだろうかと。でも、そう言われてみれば、そういうこともあるかも知れない。そういうところが僕の頭の柔らかいところ。頑固に否定する人はかえって、別な何かに洗脳され取り付かれる。肯定と否定を繰り返すことが、思考を深めていけるのでは?
 僕には、彼らの存在が特別なのか分からなかったけど、お仲間の一人の中年の女性には特別なパワーを感じた。以前、目を閉じて瞑想している時、彼女の存在を違った姿で強烈に感じた。とにかく目を閉じていても、見えたんだから仕方がない。
 視覚神経の異状なのか、未知の力が働いたのか、ある人達はこうした経験で、特定の宗教や宗教のようなものにのめり込んでいく。良くも悪くも、そこに彼らが知らなかった感動・喜びを発見して、今までの経験や知識を凌駕するのだ。

 ファザーの治療
さて話を元に戻すとする。団地の階段をコトコト上って2階、右手のドアがファザーの家だった。ドアの外に靴やサンダルが、並べてあるのがおもしろい。
 誰も持っていかないんだね。でも犬がいたら大変、みんな持っていかれる。したがって、部屋には裸足で入る。部屋に入ってまず祭壇に驚く。横2mほどで4段ほどの祭壇に仏像が30ほど並んでいる、それにたくさんの花や写真。石や古いコインのようなものもある。
 テムと叔父さんに続いて部屋に入ると、膝をついてみなさんに挨拶した。45人の中にファザーもいる、みなさんニコニコと歓迎してくれた。テムは僕と来た時以来、彼に会ってなかったそうだ。早速叔父さんの紹介、僕の病気の経過やラオスに旅行して来たことを話した。みなさん僕が元気になって、またタイに来れたことを大変喜んでくれた。そして、ラオスにまで旅行して来たことをしきりに感心していた。話しは尽きない。
 でも僕は言葉が分からないので、テムのおおよその通訳でみなさんの顔を見ている。この人達には『険』がない、『裏』がない。彼らの表情からは穏やかさを感じる。それで十分だった。

 生きたいと思う時まで生きるのだ!
 話していると、赤いジュース(イチゴ)が出された。おいしかったので2杯も飲んだ。後で豆乳とカッパエビセン(野菜でできてる)みたいなおかしも出た。パイナップルも出て、チョット変わった食べ方をしていた。なんと、パイナップルに唐辛子のタレつけて食べるのだ。それが普通だそう。魚のミートボールにも唐辛子、キュウリのピクルスにも唐辛子のタレをつけて食べていた。
ここにみなさんが集まっているのは、話しが楽しく遊びなのだ。日本の新興宗教のような、ひたむきで熱心・情熱・悩みというようなものはどこにもない。むろん戒律規律といったものもない、ただリラックスを感じる。だから宗教ではないのかも知れない。
 しばらくして、叔父さんと僕の治療が始まった。ファザーの前に寝転がって、手を数分肝臓の上に当ててもらう。宇宙からのパワーで病気を治すそうだ。何となく暖かく感じて眠たくなった。それで終わり。
 半年前より良くなっているそうだ。ファザーは前回、僕が『あと何年生きられるでしょうか』と聞いた時、逆に『いつまで生きたいか』と聞いた。僕がチョット考えて『60才ぐらい』と答えると、『60才まで生きるでしょう』と言った。たぶん人は生命として『生きたいと思う時まで生きるのだ』、そう言われた気がした。新鮮に思い出す。あの時100才と答えておけば良かった。

 あとは瞑想の仕方を教えてもらった。人と握手する形、手の内側同士を合わせるように、右手と左手を組むと、より瞑想しやすいそうだ。
 5時間ほどファザーの家で過ごすと、ベンツで空港近くまで送ってもらった。それからミニバスでサンデー・マーケットまで。そこからファランボーンまで29番のバス、さらに駅から歩いて10分、ホテルに着いた。東京の北から南に移動するような距離だ。ベッドに入ったのは深夜12時過ぎだった。

12 日

 目が覚めて天井を見上げると、茶色の染みが何カ所かある。しかも天井板が一枚剥がれ落ちそうになっている。窓際を見ると古くて大きなクーラーの室内機がぶら下がっている。その取り付け部分の天井にもぽっかりと穴が開いている。その取り付けの高さが左右違っていて、クーラーが傾いている。今にも落ちてきそうだ。
 ドアの右手には壷があって痰壷かな?と思っていたら、天井から落ちてくる水受けのバケツだった。そこの配管の天井部分にも大きく穴が開けられていた。

 受付の女性がとてもチャーミング
ここは、昨日朝引っ越してきたホテル。受付の女性がとてもチャーミングだったので、即ここに決めたのだった。でも僕のチャーミングは普通と違う。
 下見の時、20代の体の大きなその女性、カウンターの奥で背もたれ椅子にポテーと深く掛けて、客に対応してた。右手でピーナッツかスナックを持って食べながら、左手で客だろう人のIDカードかなんかヒラヒラさせながら、あごをしゃくってだるそうに話していた。その態度は『王様』か、威張った『開業医』だった。しばらく見ていると、「ハア?ハー」とか言って、客にID力―ドを投げてよこした。おもしろい!

 おもしろいのは彼女だけでなく、ホテル全体だった。カウンターの前にはコの字型にソファーがあって、何人か座っている。その中に痩せたヨレヨレのおじいさんがいた。パンツみたいなのを履いてヒョロヒョロの足や腕を出して寝ッ転がっている。ビールでも飲んでいるらしい。ホームレスかと思ったら、従業員だった。カウンターの女性があごをしゃくって何か言うと、髪の毛が後退した頭を掻きながら動き出した。
 そのソファーには、昼間から売春婦らしき女性が座っている。それも4060代と思しき女性で、僕には視線も送ってこなかった。それぞれに得意な客がいるらしかった。このホテルは「ロ」の字型に作られていて、真ん中が『吹き抜け』になっている。中が暗い。6階ほどある。各階にはそれぞれ管理人らしき人が金網の中にいて、何となく全体が牢獄のような気がする。
 ここはフロントではなく階の管理人に鍵を預けたり、べッドメイキングを頼むのだ。その管理人は家族でここに住んでいるらしく、深夜まで子供の遊び声がしていた。そして管理室の前にはソファーがあって、昼間からなぜかまた女性が座っていた。初め宿泊客か管理人の知人かと思っていたら、やはり彼らと仲の良い夜の商売の女性のようだった。

 部屋を見ると壁は汚れていたけど、シーッはきれいだった。ベッドに抱き枕もある。壁には傾いて汚れた額がある『旅者旅客通知』、大体読める。しかしその額のガラスは割れ、中に何故か1本の木ネジが入っているのが『いとゆかしき』ことなれ。
 そういうことで僕は大変気に入って、カウンターの『女王様』に、宿泊を申し出たのだった。パスポートを見せろと言う。普通に申し出てはつまらないので、頑としてコピーしか見せなかった。そしたら彼女は椅子に深くもたれたままガンガン言ってくる。仕方ないかと、顔が笑ってしまうのを押さえて、パスポートを見せた。彼女は「フ〜ン!」というような顔をして、片手で書類を書いていた。それではと、ピーナッツをくれと言ったら、急に手を引っ込めて、くれなかった。
 この女性、僕がいつもニコニコして見ているのが不思議だったらしく、チラリとこっちを見ては「なんでニコニコ見てんねん?」という顔をして、いつも何か食べていた。こういうの、チャーミングって言うんや。後日この彼女、耳の聞こえない人が来た時、『手話』で話していた。
 ついでに書くと、このホテル、売春婦にトイレ・シャワーを貸してお金をもらっている。そんな女性達には案外親切だったのだ。彼女は態度を飾らない、ヘラヘラしてない、本音で生きてる。本気でぶつかってくる、だから、本当はすごく優しくチャーミングなのだ。

 再び『徐富弘診療所』へ、トマト・ジュースが美味しかった
 ようやく目が覚めた。起き出して管理人にお湯をもらうと、昔のコルクの栓のポットだった。ちゃんと煮沸されているかどうか、疑ってはいけない。どうせしてないのだ。
 薬を飲む。いよいよ薬がなくなってきた。旅行の予定も無事済んで、あとは自由、することはあまりない。マッサージぐらい。午後からは待たされる気がしたので、朝一番に『徐富弘診療所』に行くことにした。

 軽い食事のあとバスで出発。バンコックの街並みを見ながらエッカマエに到着。埃だらけの道路を歩いて診療所に着くと、客はまだ誰もいなかった。いつもの人をお願いして、明日で最後だから念入りにお願いした。すると、肝臓の部分をおもいっきり擦られて、痛いの何の。終わった時には冷汗が出ていた。
 午後は泥棒マーケツトに出かけた。町を歩いていると、時々マヌーを思い出す。彼は道路を横断する時、僕の肩を抱くようにして車から守って渡ってくれた。道路を決して斜めに渡らず、まじめに直角に渡った。今頃彼はどこで何をしているのだろうか。彼を絶対日本に呼ぼう。

 

 

 何か良いおみやげがないかなと思ったのだけど、別になし。おみやげにはいつも頭を悩ます。このバンコックの泥棒マーケットはチャイナタウンのそばにあり、これがまた広い。1時間2時間歩いても回れない。喉が乾く、疲れて屋台のスタンドで腰を下ろす。トマト・ジュースがとってもおいしかった。

 僕の旅先での記憶は、何故か食べものより、飲物の方が強い。いつも思い出すのはニューデリーのイチゴ・ジュースとカルカッタのコーヒー牛乳。食べものはその国によって独特のスパイス・味付けをする。食べ慣れたものが一番おいしい。特に、食材が豊富で調理方法が多様な日本食にかなわない。しかし、果物は品種改良を繰り返し、完熟前に出荷する日本の味は、何かボヤーとしておいしくない。ところが、他のアジアではフルーツも多様で、しつかりした味がする。ジュースにすると更においしくなる。でも残念なことに、日本に持ち込めない。
 前回ファザーの所で、パイナップルの大きな缶をおみやげにいただいた。高さが25pもあってすごく重い。途中でこんなもの捨てようかなと思ったけど、せっかくだからと思って持ち帰った。日本に帰って開けてみると、なんとジュースだった。ファーザーの『気』も入っていて、すごくおいしかったのを思い出す。
 下痢や伝染病を恐れて、現地の氷入りのジュースを飲まない人がいるけど、残念ね。疲れを貯めない、睡眠を十分に取る、お腹が空くまで食べない。そうすれば、現地の人と同じものを飲んだり食べたりしても大丈夫。

 面白いタイの若者のTシャツ
 今、夕イでは、日本語が若者の間で人気。Tシャツに『私はきれい』とか『私はブスです』なんて書いてある。時々字も違っている。平仮名がかわいいんだそうだ。中には字が裏返ってプリントされているのもあっておもしろい。
 僕がほしかったのは、般若心経が書いてあるTシャツ。漢字ばっかが縦に並んでいる。女の子が着ているの見たけど、意味分かっているのかな〜?でも、これを着ていれば『亡霊』に臓器を持って行かれない。でもやっぱり、耳は持っていかれるのかな〜。
 欧米の外国人も、平仮名入りのTシャツ着ている。意味を教えてあげても、さして興味がなさそう。日本人の着ているシャッは、英語のプリントばっかだもんね。誰も意味を気にしてない。ところが僕の友人の欧米人は、変な英語のプリントを見つけては面白がっていた。スペルが間違っていたり、意味が変な英語が多いのだ。

 5時過ぎに歩き疲れて、フラフラになってホテルに帰って来た。1時間ほど休むとすっかり疲れが取れた。
 7時過ぎに起き、夜の活動開始。夕食に出かけた。途中、ホテルの近くで不思議な店を見つけた。オオー、こんな所にマッサージが。『テキサス・マッサージ』と書いてある。でも何か変、ネオンがギラギラ。狭い通路を入っていくと黒いスーツを来た人が「いらっしゃいませ」。僕は聞いた、「テキサス・マッサージってなに?」、質問が分からなかったようだ。成り行きで、ドキドキしながら入って行ってしまった。
 オオ!、中は広くて赤い照明。右側全面にはガラスが張ってある。良く見ると、ケースの中には水着の若い女性達がズラリと座っている。20人ほどいる。いっせいにニコリとして僕を見た。ヒャツー!なるほどそういう所だったのか。生まれ育ったトラウマで、こういうのは苦手なのだ。支配人らしき人に、ムニャムニャ言いながらバックして外に出た。

 食事を済ませホテルの近くに帰ってくると、また、オオー、こんな所にマッサージが。今度はカイロプラクティックらしい。今度はしてもらおう、何事も勉強なのだ。シャワーの後でやってもらおうと9時頃行くと、すでに閉まっていた。残念。
 夜ベッドに入って・ウトウトしていると、ドアが突然ノックされた。急いでドアを少し開けて覗くと、誰もいない。変だな?仕方なく、べッドに入るとまたドアがノックされた。ドアを開けると、幼稚園ぐらいの子が走っていく。「なんやねん」と思って、子供の行く先を見ると、管理人の家族と女性がこっちを見て笑っている。
 その女性、「マッサージ・マッサージ」と言っているようだ。何だ、またマッサージか「いいかげんにしてほしいわい!」、そう思って寝たのでした。

13 日本に帰る日
 今日は日本に帰る日。当分足裏治療を受けられなくなるので、朝一番に行くことにする。バスはホテルの前から出る。バスはいっぱい来るのだけど、40番が来ない。20分経ってしまった。今日は昼までに帰ってきて、ホテルをチェックアウト、空港に向かわなくてはならない。
こういう時に限ってバスは来ない。不安になって近くにいた作業服を着たおばさんに聞くと、バス停は間違っていないそうだった。さらに、おばさんと二人でしばらく待った、でも来ない。すると、おばさん僕の手を引っ張って歩き出した。道路を渡って100mほど南にいって止まった。身ぶり手振りで、ここで25番に乗れと言う。親切!おばさんはバスが来るまで見ていてくれた。

 足裏診療に行くと、昨日と同じでまだ誰も来ていなかった。昨日、何故カイロプラクティックに行こうと思ったかというと、4力月も前から右足が横に上がらないのだ。上げようとすると筋がつってとっても痛い。身振り手振りでそれを説明すると、マッサージの途中、別室に来いと言う。
 そこにはベッドがあって、右肩の筋と筋肉を徹底的に押してきた。痛い!足裏ではなんとか我慢できた僕だけど、これにはたまらず「ストップ・ストップ」。少し休憩してくれた。「股の内側が伸びない時は、腕の付け根を柔らかくするといいのです」。しばらくして再開、やっぱり痛い「やめてくれ、こんなことなら頼まなきゃ良かった」、「もうどうでもいい、ほっといてくれ」。そう、真剣に思ったのでした。

 ホテルに帰って荷造りをすると、薬が全部なくなっていた。僕はいつも予定の量を飲めないのだけど、今回はちゃんと飲んだ。従って、リュックにスペースが出来た。そうだ!おみやげに中華街の、あの訳の分からないフニャフニャした大きなおまんじゅうを買おう。時間があまりない、ホテルを飛び出した。
 裏通りの食堂の前、屋台で売っていた。大きな蒸し器からモクモクと湯気が出て、中には色々なおまんじゅうというか、ウイロウのようなものが並んでいる。大きいのを二つ、小さいのを四つほど買った。
 あまりおいしそうなので、小さいのをその場で食べたかったのだ。緑の中身が見えていたのは、ニラとショウガとネギが入っていた。茶色いのは木ノ実のアンコだった。油っぽいけど、けっこうおいしかった。
 チェックアウトしようとすると、従業員は全員かたまってカウンターの隅で昼食を取っていた。僕が見るといつも何か食べている。何となく微笑ましい。僕に気がついたカウンターの彼女は、ニコッとして走ってきた。お別れを言うと、また来てくださいと言うでもなく「バイ、バイ」だけだった。でも素直な笑顔。また来ることにしよう。

 空港までは初めて電車で行った。切符は並んで待たされた。しかし出発は時間通り。タイの中央駅(ファランボーン)を出発するとすぐ、線路の両側は低所得層の住宅地域を通る。いわゆるスラムだ。以前、この中を歩き回った。タイにはあちこちスラムがあって、ここはそれほどひどくはないらしい。表通りはすっかり豊かになったタイも、裏道を一歩入れば厳しい現実があるのだった。
 電車から見ると、子供たちが線路の回りで走り回っていた。回りにはたくさんのビニールのゴミ、すごく埃っぽい。タイに来た時には毎日雨があったのに、このところ雨がない。すっかり乾季になったようだった。
 電車は重たそうにノロノロと進んで行く。隣りの席では若い娘達が自分の買ってきたものをしきりに見ている。髪どめをたくさん持っているので、「それ売るの?」と聞いたら、「そう」と楽しそうに返事が返って来た。タイでは気軽に声がかけられる。日本で若い女性に声をかけたら、当然シカトされる。

 

              

 タイ語で『タイ』という意味は『自由』だそうだ。日本に自由民主党はあっても、一番束縛の多そうな、自由を最も喜ばない党のようだ。元々『自由』と言う言葉は造語で古い言葉(やまと言葉)ではない。英語のようにリバティーとフリーダムの違いもない。『近代化と気楽さ』とは相反するものなのか?『近代化と健康』とは相反するものなのか?飛行機に乗ってやってきた僕は、健康ではなかったけど気楽だった。答えはなかなか難しい。
 タイはそんなことを考えさせてくれる、ホッとして気楽に生きられるかな?と思わせてくれる。良い国だ。また来たい。そんなこと考えていると電車が飛行場に着いた。

 マレーシア航空のボーデングパスを受け取ると、電話機を探した。今回もテムにいろいろお世話になった。時間に余裕を持って行動しても、結局忙しい。ようやくテムの携帯に電話。「ありがとう」、ただただ感謝。
 次は、到着した時に取り上げられたナイフを取り返す。空港受付カウンターでナイフの受取証を見せると、意外や親切。事務所まで連れてってくれた。何も言わなくてもナイフが出てきた。意気込んで行ったのに、肩透かし。でも、手荷物検査の所でまた取り上げられたけどね。

 

 日本人青年の勉強?
 飛行機は離陸、クアラルンプールに向かった。機内食はベジタリアン、美味しいかと思いきや、大豆のハンバーグみたいので、まったく美味しくなかった。クアラルンプールで1度着陸、そして名古屋に向かう。
 長い乗り継ぎだ。名古屋に出発するのが深夜の1時。安いチケットは待たされる。腹が空いても現地の小銭・通貨もないので、ジュースも飲めない。非常食に持ってきた大豆を食べる。
 「あなたも名古屋に行くんですか?」、深夜近く人も少なくなった待合室。飛行機を待っている青年と話した。すると久しぶりに日本語を聞いて、気が緩んだのか一気に話し始めた。
 彼は1週間ほど前、仕事を止め、のんびりするつもりでタイに来たそうだ。ホテルに泊まっていたところ、乗り合わせたトックトックの運転手に「そのホテルは危ないから」と言われ、彼の家にお世話になったそうだ。そして、3日後、気がつくと85万円取られていたそうだ。すっごい大金!ただちに旅行を中止し日本に帰るしかなく、飛行機を待っていたのだった。
 彼の一番の感想は、「未だに、彼らが僕をだましたなんて信じられない」だった。彼が特に納得出来なかったのは、彼はカ―ド詐欺を含むアジアの犯罪について良く勉強して知っていたのに、まんまと引っかかったことだった。実際、詐欺団が使った手口はオーソドックスで、彼が知っていた手口だったのだ。信用させてトランプさせて銀行に連れていき、カードからお金を下ろさせるもの。なのに何故、自分が引っかかったのか?自分が理解できないようだった。

 人は騙されるのは何故か?欲望。自分では気がつかない欲望・不安。それを満たしてやると心地良さの中、コロッと信用する。彼は喜んで銀行に行って、自分から現金を引き出したのだ。たぶんタイの人との心地よい関係を終わらせたくなかったのだろう。人は簡単には自身の欲望に気がつかない。表面的な金銭、権威・名誉・物欲・健康・性欲それだけだったら誰でも知っている。単純な詐欺だったら、それを満たしてあげると近づいて来る。
 そんな否定的な欲望だけでなく、安らぎ・友人。『物欲を否定する心地良さ』とか『自己の存在を認めてくれる』も欲望なのだ。不安も、満たされない欲望の裏返し。彼はせわしないギスギスした日本を離れ、のんびり優しい人間関係に憧れていたのだ。詐欺師の集団はそんな彼の欲望を、後ろからそっと押してあげた。彼を最も理解し、かつ実行したのだ。ある意味で彼を85万円分の欲望を満足させた。彼もそう思ったのか、「とても良い勉強になった気がします」と言っていた。
 彼は何一つ不自由なく、幸せに育ってきたような青年。毎日が幸せそうな人にも、満たされないものや不安がある。自分だけが不幸だと思いがちな、僕のようなガン患者・病人。確かに病気でなかったらどんなにか幸せか。でもなかなかうまくいかない、人はつきぬ欲望を抱えているからだ。

 少しでも救われる道は、そんな自分を知り認めるしかないのだ。でも、なかなか自分を知ることは難しい。誰でもいつでも惑わされ騙される。煩悩が鏡を曇らせる。そんな自分に気づかせてくれるもの、「まあ〜、しょうがないか」と納得させてくれるもの、それが本当の神や仏であると思うのですが・・。
 ひょっとすると『もう一人の裸の自分に出会うことが、ガンを治す最短距離かも知れない』。『ガンはもう一人の自分なのだから』。

14日 名古屋空港に到着
 少しウトウトと寝た。起きなさいと言うようなアナウンスの声、目を閉じて聞いた。飛行機はしだいに高度を下げ、予定通りに名古屋空港に到着した。
 外は寒かった。バンコックは30度、名古屋は1012度。体がギュッと縮こまる。電車を乗り継いで矢作橋駅まで来ると、懐かしいナッちゃんが手を振って待っていた。

終わり

 

               

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